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長寿の樹木の未来は?

最近は、「推し」ということばを
目にすることが多くなりました。
何か、熱中する対象をもつ方が
増えたのかもしれません。

「パワースポットめぐり」や「神社めぐり」、
「巨木めぐり」などが
「推し」に入るのかどうか、わかりません。

が、大きな木がいるところに
足を運ぶことが、
時には、あるかなと思います。

そんなとき、どんな感じを
受けられるでしょうか。

最近、とても著名な樹木を含めて、
立派な木のもとに足を運ぶ機会を
何度か頂きました。

今は、天然記念物であっても、
誰かが危ないと感じたり、
切ると利益になると考えたりする人が
一人でもいると、
その樹木の未来は、
ひどくおびやかされます。

なので、仕事をしていると、
せっかくとても立派な木を目の前にして、
見上げていても、
その木の立派さ、神々しさに
ひたれない場面が増えてきました。

仕事で、どうしよう、こうしよう、
などと人間の利益や責任、
のようなものを忙しくかかえていると、
せっかく、ものすごいパワーを発している
魅力的な木の前に立っていても、
そこから、少しも、
よい「気」のようなものを
受け取ることはできません。

頭の中が騒々しくて、
実はそこにいないも同然だから。

そういうことではいかんな、
と思うことが多くなり、
純粋に、樹木の立派さにひたり
楽しむ機会を積極的に作ることに。

人間の都合や事情は、
ちょっとどこかに置いておいて、
ただ、無心に木の前に立つ。

そうすると、わかりました。

それができたら、
樹木はやはり、生きものの王様、
のような存在である、と思えます。

ここでいう、王様は、
童話や物語の世界の形容で、
よいことばが、すぐには浮かびません。

とにかく、他の追随を許さない、
圧倒的な存在感。

そんな樹木を何本も見て、
自分なりにつかんだ傾向のようなもの。

適切な管理が施されている樹木は、
1000年を超えると言われるご高齢でも、
活力は非常に高い。

だから、少しくらい枝が枯れても
それを補うくらい新しい枝が
次々と出せているから、
樹形も、とても雄大ですばらしいです。

そういう木は、
びっくりするくらい広い「柵」で
囲まれています。

「根の保護」に注意が払われているのが
伝わってきます。

そんな姿は、絵はがきにしても
痛々しい感じは少しもなく、
ご立派ですね!ということばしか、
思い浮かばないと思います。

一方、最近の厳しい高温乾燥が
かなりツラいのかな?とか
樹木によっては、
日当たりが悪いことも
災いしているのかな?などの要因で
かなり不調な樹木も見られます。

天然記念物になっているような樹木は、
いろんな意味で、長年、生育環境に
恵まれ続けてきた、強運の持ち主。

遺伝的にも優れているばかりでなく、
人に、切ろうという気を
起こさせない力のようなものもあって、
それで、長生きなのですね。

で、今でも私たちの前で
暮らし続けていて、
目を楽しませてくれている
のだと思います。

そんな樹木が、ここ数十年のうちに
次々と具合が悪くなり、
樹木によっては、耐えきれず、
枯れていく…

そんな姿、事例をあちこちで目にすると、
本当に、失ってしまったものの
大きさを感じます。

先日、樹木の寿命について
記事を書かせてもらいました。

寿命じゃないのよ、と言っている気が|樹木も人も笑顔に、樹木医mimi ( 三戸 久美子 )

少し長い期間、仕事をしてきたからには
言わなくてはいけない、と感じること。

自然災害や厳しい、激しい気象条件、
本当の意味で、その樹木の寿命がやってきた、
というのであれば、
泣く泣く、あきらめ、
お別れするしかないと思います。

でも、そうでなく、
あやまった治療や管理をしてしまって
樹木がひどく弱る、枯れてしまう、
というのは、なんとしてでも
避けなくてはいけない、と感じます。

誤った治療、とここでいうのは、
2つのパターンがあります。

ひとつめ。
20年とか30年くらい前、
当時は、それが最善、
と思われていたから
その技法を選んだ、というもの。

もうひとつ。
その技法にはリスクがある、
と、すでに事例をもとに
報告されているのに、
古い技法をやり続ける、
というパターンです。

結果が同じであっても、
この2つの意味合いは、
全く異なるでしょう。

とても有名な、巨木と言われる木々を
実際に見て思うこと。

生きものだから、
特に、ご高齢であれば、
一時的に体調不良になることは
あるでしょう。

でも、そんなとき、
とにかく思い出したいことは、
木が、自分で回復のために
やろうとしていることを
邪魔しないことです。

そのためには、
することを考える前に、
この場面でしてはいけないこと、
というのが、
きっちりリストアップでき、
それはぐらつかせないこと、
という気がします。

すべきことはする、
同時に、木のためにならないはず
のことは、やらないでおく。

従来はやってきたとしても、
周りは、今でもそれがよいと言っていても、
生理学的、組織学的にちがうな、
と思われることは、しない勇気をもつ、
ということかもしれません。

こう書くと、何を当たり前のことを、
と感じられると思います。

が、それが当たり前でないことは、
木に限らず、人間の医療現場でも
よくあることでは?と思います。

経済も大切ですが、
医術は算術、ばかりになっては、
めぐりめぐって、
自分たちの元にも、
不利益が返ってきそうです、
きっと、たぶん。

立派な木の、静かに、だけど
ものすごくパワフルさを
感じさせる姿を見ていると、
こういう強運の持ち主が、
これからどのような生活、生涯を
たどっていくのか、気になります。

ちょうど年末年始が近づいて、
神社やお寺に
足を運ぶ機会が多くなる時期。

自分や自分たちの未来が
どうあってほしいか?
立派な木のそばに立って感じてみると、
具体的に教えてもらえそうです。




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樹木も人も笑顔に、樹木医mimi  ( 三戸 久美子 )
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