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『木のいのち 木のこころ』天・地・人をもう一度、読み直したい

なんとなく、これが気になる、とか、
なんか呼んでる気がする、
と感じることはないでしょうか。

また、そう感じたとき、
それについていくことが多いでしょうか?
それともスルーする?

私は霊感の類いは全くないのですが、
なんか気になる、は、
ときどきやってきます。

で、それについていく。
すると、思わぬよいことが待っていた!
ということが多い気がします。

なので、振り切らないことにしています、
できるだけ、その感覚は。

少々問題なのは、
そうやって何かを選ぶと、
あとで、自分でも、なんでこれを?
という説明がつかないことが多く…

先日も、なぜか
『木のいのち 木のこころ 天・地・人』
を図書館でリクエストしました。
けれど、何がきっかけだったかは
もう思い出せません…

ですが、結論として、
今、この本を読めたことは
とてもありがたいことでした。

理由は、今の自分が必要としているから。

そして、かつての技術大国が
かなり危うくなっている、
今の日本も必要としている、
と思えるから。

これらの本が発行されたのは、
1993年、31年前のこと。

ですが、これらの本のメッセージが
本当に必要とされているのは、
岐路に立たされている
今、なのかもしれません。

本書を読んで、日本の伝統文化や
それを支えてきた技術というのは、
本当にすばらしい、
とあらためて感じました。

それをなぜ失ったのか?

理由は、歴史を考証される方が
言われるとおり、
日本の恐ろしさを見抜いていた
世界から恐れられていたから。
で、無力化の方向に誘導されてきたから、
というのも理由の1つかもしれません。

とはいえ。
本書を読むと、
そうとばかりは言えない、
根本的な課題は内にあり、
と思われます。

これらの3冊に書かれていることは、
圧倒的で、叡智のレベルだと思うので、
抜き書きして伝わるものではない、
と思います。

ですが、ただただすばらしい、
と言っているだけでは
何も伝わらないのも事実。

自ら手に取ってみる
きっかけになればいいなと願い、
ごく一部ですが、心に響いた部分を
ご紹介しようと思います。

『木のいのち 木のこころ』西岡常一、天より

・昔の宮大工が百姓大工やったというのは
理想的な姿かもれませんな。
自分で米や野菜を作って、仕事があるときに精一杯やる。

(中略)。自然に密着した生活と仕事、
こないやったら、
自然のことは決して忘れはしませんわな。

それと百姓大工をしていたら食えるから、
待つこともできますわな。
一度余裕をなくして儲けを追い出したら、
時間を待つこともできんし、
休むこともできんし、
どうしても「早く、早く」
ということになりますな。

今の人はみんなそうなってしまいました。
そのうえ仕事が細(こま)こう分業になって
自然とのつながりが
わからなくなってしまったんですな。

(中略)まあ、こんな時代ですが、
ちゃんとした仕事をしようと思ったら
自然のことを忘れたらあきませんわ。

どんなにしても人間は自然から逃れられませんし、
その自然のなかでは
木や草とそんなに変わらしませんのやから。

ここに書かれていることは、
自然と直接的に関わる仕事を
していない方にも
当てはまるだろうと思います。

西岡さんと同じまなざしで
自然を見ることができていたら。

どんな仕事であっても、
破壊的なことをすると
その先に何が待っているのか、
やる前に予測がついたはずです。

もしそうだったら、
今のような環境問題はなく、
「持続可能な発展」などと
わざわざ言う必要もなかったでしょう。

この本、厳しいようで、
なぜか、まなざしの
温かさややさしさも感じるのです。

その理由は?

自分で読むからこそ
受け取れるものがある。
強くお勧めしたい本の
一つになりました。


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樹木も人も笑顔に、樹木医mimi  ( 三戸 久美子 )
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