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寿命じゃないのよ、と言っている気が
大切な木が枯れてしまった時、
特に、木のためになるはず
のことをやった後で、
その木が枯れてしまった、
という悲しい経験をされたことが
おありでしょうか?
もし、そのようなことがあったら
どのような反応を
されるでしょうか?
そんな時にしばしば聞くのは、
寿命だったから、仕方がない。
これを聞くと、
ちょっぴり違和感が…
樹種によって違いますが、
多くの樹木は、
長い寿命の可能性と
それを支える仕組みを
もっています。
数100年も1000年も
生きている木は、
日本全国にたくさんいます。
世界で見れば、
今、最長老といわれている
ドイツトウヒは、
氷河期が終わって以来、
ずっと生きているので、
9550歳くらい、
と言われています。
で、不調になってからの
忍耐力、再生力も
驚くほどあります。
そして、うまく手助けして
あげられた時の回復力の
パワフルさも、目を見張る感じです。
逆境に強いヤナギなどは、
そのたくましさを見ていて、
柳に不可能なし、
なんてことばが浮かんできます。
そのような実例をたくさん
見せてもらってきたので、
治療したあと、
まもなく枯れてしまったときに
寿命だった、
と言われているのを聞くと、
落ち着かなくなります。
木は、辛抱強いので、
困ったことがあっても
黙々と、乗り切るために
できることをやります。
その初期に、不調であることに
気づかれることは
あまりありません。
でも、木が、
はっきりわかるほど
不調になるまでには
かなり時間が経っていて
そこまでいくのに、
ムリにムリを重ねているのが
ふつうです。
そんな低調モードに、
いかに早く気づいてあげられるか?
それと、木が不調になる時には、
必ず理由がある、と思っています。
それも、多くは、複合的な。
最近は、安全、危険の評価に
関わる仕事が多くなっている
と思われます。
が、元気のない木は
枝枯れが生じやすくなり、
結果として、危険な要素が
増えてしまいます。
本来もっていたはずの長い寿命も、
期待しにくくなります。
そういう、木が教えてくれることを
思うと、
きっとこれは寿命だったはず
と思えるのは、
白神山地のマザーツリーが
倒れたりしたときなど。
いつもいつも、
寿命が尽きて
木が枯れているようには
見えません。
多くの場合、
人間が知らず知らずのうちに
木のイヤなことをしていないかな?
と考えてみるのが
よいかなと思っています。
できるだけ、そこで
気づけるようになりたい。
よく見れば、木は
不調であるサインを
発しているかもしれない。
それなのに、寿命、と思うと、
できることをやる可能性が
失われてしまうから。
多くは何かをするよりも
イヤなことを取り除いて
あげればよいだけ、
だったりします。
簡単には、あきらめない木に
見習って、
取り除ける不調の原因を
明(あき)らめたいです。
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