テクノロジーが発達したって、縄文人も現代人も、同じ人
最近、縄文人も現代人も、人って実はそれほど変わらないものなんだなあ、としみじみと感じました。
少し前から、縄文ブームと言うことで、きちんと学んでいる歴史好きの友と、博物館に何度か足を運び、遺跡や土器、土偶などを見てきました。
で、毎回、不勉強なりに展示や遺構を楽しんできました。
ですが、今回の感じ方はこれまでとはちょっと違っていて、
「案外、人というのは変わらないものなのだ」でした。
それには、たぶん訳があります。
きっと、最近は、「自分が大切に思うものを、どのように伝えるとよいか?」というテーマをもって、いろんなものを見ているからでしょう。
人は、どんなことに喜んだり楽しんだり、望んだり避けたりしているのだろう?
そんな思いや行動パターンを知りたいな、と思っています。
縄文の人が残してくれた数々の土器・土偶・住居跡などを、そんな目で見て想像して思ったこと。
たぶん、大昔に生きていた縄文人の望んだこと、やりたかったこと、やりたくなかったことは、今とそれほど変わっていないはず。
例えば。
・おいしいものを食べたい、だけど、そのためにあまりどしんどい思いはしたくない。
・できることなら、あまり働きたくない。ラクをしたい。
・生活には、楽しいことが絶対に必要。生きるために必須の行動ばかりだとつまらない。時間的余裕がほしい。
・ものをつくるのは楽しい。自分なりに工夫するのも楽しい。
・生活に余裕がなくなってきたら、以前のやり方から省力することを考える。
・できるだけ快適な住まいで暮らしたい。エネルギーの効率化(かまどなど)。
・子孫繁栄。病気平癒。健康長寿。
・困ったときの神頼み(そのための儀式)。縁起を担ぐこと。
などなど。
こうしてみると、何万年経っても、人って、根源的には全然変わってないじゃない!と私は感じました。
そして、たぶん、これからも、このような生き物としての本質的な願いの部分は、それほど変わらない気がします。
コロナ対策は、まだまだ気を抜けませんが、それでも、これからどのように仕事をしていけばよいか?とみなさん模索されているのではないでしょうか。
そんなときは、ちょっと思い出してみたいです。
どんなにテクノロジーが発達しても、近代化しても、みんなのなかには、昔からずっーと、変わらず続いている縄文人が生き続けていることを。
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