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『リスクを生きる』を手がかりに。知性的な人って?

「知性的な人」というと、どんなイメージでしょうか。

それぞれが身近にいる、誰か具体的な人物を思い浮かべそうな気がしますが、どうでしょう?

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本書で、内田先生の言われる「知性的な人」の定義は、こうです。

ぼくが「知性的」と見なす人とは、
「その人がいると集団全体の知的アウトカムが向上する人」。

知性というのは集団的に発動するものだから。

だから、逆に言うと、「知性的な人」でないのは、
その人がいるせいで、場が暗くなったり、
コミュニケーションが円滑に行かなくなったり、
人が臆病になったりする人。

これは、いくら個人的には知的に卓越していても、だそう。

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他ではあまり聞かない定義な気がします。
が、人は、太古から今に至るまで、一人では生きられない存在です。

とすると、知性は個人で完結しない、集団的なもの、というのは、納得させられますよね。

この後に続くのは、以下のような記述です。

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今の日本社会では、個人の能力は高いけど、チームのパフォーマンスを低下させるような振る舞いしかしない人がトップに立ち、ムリヤリ、パフォーマンスをあげようとするので、査定が「脅し」になる。

誰が誰よりも「できる」「できない」の査定をうるさくすると、チーム全体ではパフォーマンスは低下する。

コロナ禍での医療は、チームとしてのパフォーマンスを高めて行く必要があるけれど、査定的な人が一人でもいると、組織がギクシャクして、事がうまく運ばなくなる。

これは、たぶん全国の病院で起きていることと思う。

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そうだったのか、ですね。
ただでさえ、コロナ対応で大変だった医療チームが、さらにそのようなことでも苦しんでいたとは… 

想像するに、チームがギクシャクして仕事が進まなくなる方が、むしろ、しんどそうですね。

今の時代、何かあったときの責任の所在を明らかにするために、書類や手続きが日ごとに増え、管理がますます厳しくなっているようです。

そして、本来やるべき仕事に時間とエネルギーが向けられなくなっています。これはたぶん、どの分野もそう。

マンパワーや天然資源に余裕のあった時代なら、これもありなのかもしれません。

が、イーロンマスクのお話ではないですが、今のままでは人口減少によって、日本は、国そのものがなくなってしまう、と言われているのに、ずっとかつての方向性で、やり続けるのか?ですね。

で、どうするか? 上の偉い方を変えるのは、容易でないです。
だったら、その下にいる、若い人たちが力をつけて、変わるように働きかけるしかなさそうです。

といっても、世代間で分かれてしまっては、パワー不足になってしまいます。昔のよいところと今のよいところをうまく組み合わせて使っていくためにも、内田先生の言われるような知性が必要とされそうです。

少なくとも、知性的でない人になって、人の足を引っ張らないように。
若くない世代は、それも重要なのだと忘れないようにしたいです。




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