生物多様性の意味は?
この2日間、ソメイヨシノの並木の危険度判定の仕事をしていました。
木を見ていると、
近くに住んでいる方から声をかけてもらえます。
で、あらためて思いました。
木やその他の生物、存在に対して、
それぞれにいろんなとらえ方をしておられます。
ここでひとつ質問をさせていただくと。
今、話題の「生物多様性」の意味を簡単なことばで説明すると?
さて、どうなるでしょうか。
故人となられましたが、動物行動学の日高敏隆先生は、
生物多様性が低くなると、食べるものがなくなる、
と説明されていたと思います。
確かにそうですね。
すでに今、庶民の味方だった青背のお魚、
サンマとかイワシ、サバなどが不漁続きで、
高級魚になってしまっていたりします。
今年は、お米も店頭から消えてニュースになったりして…
環境問題はいろんな要素が複雑にからみ合っているので、
因果関係をすっきり説明することはむずかしいです。
が、変化が激しくて、そんな環境では生きていけない、
という生き物が増えれば、
当然、生物多様性は低下しますよね。
で、生物多様性の意味を簡単に説明すると?
という質問に戻ります。
今のところ、私の思う答えは、
自分の嫌いな存在、目ざわりに感じる存在、不都合な存在とも
共存する意思や知恵をもとうとし、
そのために工夫すること、と考えています。
なぜこう感じるかというと、
自分が嫌いだから、迷惑をかけられていると感じるから、
という理由で、
長くその場で暮らし、
他の人が大切に感じて愛でている木を、
「自分はこの木を迷惑に思っている、切れ!」
「こんな木なんてない方がいい!」と言って、
ちょっと(だいぶ)険しいお顔で圧をかけてくる人が、
ときどき、おられるからです。
確かに、そういう意見もあるでしょう。
ですが、木を大切にしながら(これが大切)共存する
という行為は、
個人的な好き嫌いによって
ふらつかせるわけにはいかないこと、と考えています。
きらいでも目ざわりに感じても、それは自分の価値観と感性の問題。
相手(他者)には相手(他者)の、都合や事情がある。
それに地球、環境は、もともと自分のためだけにはない。
身の回りにいる嫌いな、迷惑に感じる虫や動物(最近ではクマ?)、
なんだか波長の合わない同僚や上司、ご近所様などなど…
道徳的な意味で、みんな仲良くしましょう、
なんて言うつもりはまったくありません。
ですが、「生物多様性」の意味をどのようにとらえて、
どのような行動にむすびつけていくのか?
それは、自分たちが地球上で、これからも生き続けられるかどうか?
に直結するはず。
それを思うと。このことばの意味を自分はどう解釈するか?
この問いは、避けられない気がします。
「生物多様性」ということばは、
本当の意味での共存とは?など、
いろんなことを考えるための
よい素材になってくれる用語のように思われますよね。
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