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理解できれば、共存したくなる?

今朝、やってきたテーマはこれ。

エネルギーに満ちていて
とてもできるタイプの先輩の
子ども時代のお話が
この記事のヒントになったようです。

たぶん、どの人にもあると思います。

「なぜ、この人は、ここで
このような行動を取るのだろう?」
(こうしかできないのだろう?)的なこと…


人間には、合う合わないの波長がある、
と思っています。

これは、自然の法則的な要素なので、
完全になくすのは、むずかしい気もします。

だけど、大人になってまで、
それを言っていると、
世間が狭くなるし、
ソンすることも多い、ですよね?

で、ちょっと苦手とする人たちが
思い浮かびました。

尊敬する人も、苦手な人も、
それぞれの気質に加え、
生きてきた境遇などの影響で
今の行動パターンが
できあがっています。

そう思って一人一人を感じてみると、
ああ、だからこうなるのね、
とすーっと納得できました。

そんなふうに理解、納得ができれば、
あまりうれしくはない行動も
まあ、そうだよね、となりました。

これ、あらゆるものとの関係性に
言えることなのでは?

今の日本社会では、
ここで、「今の」と「日本」の
というのは、重要なので、
はっきり言っておきましょう。

今の日本社会で、
樹木が邪魔者あつかいなのは、
人々の不安や不平不満を受け止める
ターゲットになっている(されている)、
というところまでは、
理解できました。

でも、なぜ、そうなるのか?

事故が起きると、
その都度、心は大いに痛みますが、
樹木を悪く思うことはできません。

なぜか?

たぶん、樹木についての
知識や経験の量が
樹木に関わる仕事を
していない人よりも多いから。

そして、樹木のこと、
その魅力や価値、機能を
ハラで理解しているから。

とすれば、理解と納得によって
他者に対する評価は
変わってくる、のでしょう。

きらいなもの、苦手なもの、
目障りに感じるもの、
邪魔に感じるもの。

こういうものがあると、
もっている人が
穏やかな気持ちで過ごせず、
幸せでなく、損します。

結局のところ、
樹木が、今のような厳しい境遇で
生きなくてはいけなくなってきたのは、
理解のための情報や経験が不足しているから、
と気づきました。

少しでも知れば、理解、納得できれば、
樹木は魅力にあふれる存在だと
わかります。

そうすれば、共存してもらわないと、
そばにいてもらわないと困る、
と誰でも思うはず。

その先に、木と人が共存できるようになった
創造的で、楽しくて豊かな未来が感じられます。

樹木と共存するための方法は、
樹木医制度ができてからの
30年間あまりで、
すでにたくさん蓄積されているのだから。

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