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気の重い話も、希望に向かわせてくれる仲間とことば

昨日は、知人宅のカシワの剪定。
これが終わると、
年末の恒例行事の1つが終わります。

作業が無事に終われば、少しほっとします。
が、毎年、直後はみじめな姿に変わった
カシワの姿を見て、
情けない思いも味わいます。

いつになったら、
やりました!と見せるための
この剪定をやめられるか…

作業が終わってから、
職人さんと知人と3人で、
土間で薪ストーブを囲んで
しばらく話しました。

たわいのない雑談からはじまっても、
だんだん、これからどうなる?
というような、
深刻になりがちな話題になります。

ですが、このメンバーだと、
不安と恐怖を感じて、
嫌な気分で終わり…
とならないんですよね。

なぜか?

知人も職人さんも、
気力・体力・行動力のある人たちだから。

外からの外圧で、
この先どうなる?で終わりません。

で、自分はどうする?と
常に考え、先に先にと
行動を続ける人たちです。

そういう人たちのそばにいると、
その心持ちというのか、波調?が
少し映る気がします。

で、知人とはそのあともしばらく、
今後、社会、世界はどうなっていく?
という、話を続けました。

不思議と重い気分にはならずに。

改めて思うと、この知人は
「危機感」のかなり強い人で、行動的。
助けや応援を必要としている人を
自分から見つけては、
常に助け続けてきた人。

聞くと、その「危機感」に
つながったと思われる「違和感」は、
中学生の頃に感じたもののよう。

それからずっと、
社会のありかたに、関心をもち、
学び続け、行動し続けてこられたよう。

ここで、自分のテーマの
目の前の木をいかにして、
生き延びさせるか?
とつながります。

生き延びてもらうか、
でなく、生き延びさせるか、
となるのは、
木の生存の鍵を握っているのは、
今は人だからです。

木に限らず、
本来、生き延びる、なにがあっても、
というのは、厳しいことだと思います。

「危機感」という言葉が、最近、
「生存」とか「生き延びる」と
つながりが強くなってきた気がします。

で、知人と、深刻とも思える話をしていて、
思い浮かんだこと。

この先、生き延びていくのが
ますます厳しい状況が待っているとすれば、
大切なのは、健康な身体と助け合える仲間、
人とのつながりですね。

これは、この知人との会話で
同じことを何度も言ってきました。

が、最近の事故や事件、
自然災害、気象条件、
日本や世界の社会情勢などを目にすると、
切実になってきた感じがあります。

言い換えると、
本当に大切にすべきものは
後回しにすることなく、
大切にしていかないと、
ということだと思います。

それには、大切なものを
自分ではっきりわかっておく
必要があるでしょう。

自分たちが生きていくにあたって
真に大切なものとは、なんでしょうか。

それを見失ってしまったら、
どんなに豊かになっても、
すごく楽しいことがあったとしても、
もしかして、日々の生活や
人生がむだになってしまうのかもしれない。

そう思うと、本質的に大切なものを
もっとはっきりさせて
純度を上げて生きた方がいいな、
と感じつつ過ごす年末の日。






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