2022_0427_本読み
<1767字>
冒頭の写真:
マンネングサの仲間です。
これはマンションの周りの植え込みと思われるところにあるので、園芸種?と思うのですが、野生っぽく雑草っぽく生えているのも見かけるので、不明。
雑草好きなので、名前を知ってしたしみたいのですが、
今は検索して、似たのがいろいろあるとわかるので、
かえって名前を呼んでしたしむのが難しいです。
この規則性と、星のような花の形、かなり好きです。
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4月27(水)は以下を読みました。
「数学と生成文法」
黒田成幸 文
『新・自然科学としての言語学』 福井直樹 著、ちくま学芸文庫
に、付録として収められている文章
3 記述の妥当性:文法と数学
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小見出しが魅力的ですが、音読中はがんばったものの、ちんぷんかんぷん。
読み直して、やっと説明の「妥当性」には、1観察的妥当性、2記述的妥当性、3説明的妥当性、の3段階がある、というのを拾い出しました。
ことばにおいても数学においても、1、観察された事象ではバラバラな事実と思われていたものが、2、実は関連があったとわかり、3、さらにその背後に深い法則的なつながりが発見できる、
のではないか、という夢想(メルヘン)なんだろうと思いました。
ここの例での数学の3段階は
1、(フェルマーは何かを感じ取ってるが、一般の数学者には)バラバラな命題
2、方程式に書くことで、そのどれもが楕円曲線の有理点を求める問題だ、ということがわかる
3、楕円曲線が群構造を持つことがわかり、数論と関数論の結びつきが明らかになる
特に「3、」。4つの漢字熟語の知識が著しく不足していますが、夢想だけはしました。
(音読した人:山崎)
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『学問のすゝめ』
福沢諭吉 著、岩波文庫、
九編 学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文
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編題にある〈二様〉とは、人間を「一個体の生き物として」と「社会を形成するものとして」捉えること、のようです。
今日は、その一つ目についてだったのですが、この観点で「生きている」というのは、動物が生きているのと同じで、とくにどうこういうほどのことではない、と断じているように感じました。
(音読した人:めいさん)
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『目の見えない人は世界をどうみているのか』
伊藤 亜紗 著、光文社
第1章 空間 見える人は2次元 見えない人は3次元
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「太陽の塔」の例が続きます。太陽の塔は内部に「生命の樹」という構造物を持っていますが「見えない人」はそれすらも、外表面にある表の顔、裏の顔などと「等価」に把握している、としていました。
こうなってくると「見える人」である著者は〈太陽の塔がドロドロと溶けだす感じ〉と書いています。
山崎は、山崎の母が地図を見てもどこだかわからない、というのを思い出したり、「群盲象をなでる」の話を思い出したりしました。
どれとどれが対応する比喩、ということではなく、ただ
この「わからない」≒「ドロドロと溶けだす感じ」
かな、と思ったのです。地図(太陽の塔の写真など、あるいは実際に目いしている時)を見ても「そのもの」がわからない、という疑心暗鬼に囚われる雰囲気です。
(音読した人:こいでさん)
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『本の中の世界』
湯川秀樹 著
岩波新書
「文章軌範」
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「李愿の盤谷へ帰るを送る序」の書き下し文と現代訳を長く引用していました。
中国人の一つの理想の型「官での立身出世を捨て、隠遁する」
を激励する内容でした。
それはさておき、文章軌範には
〈国文学にはない、そしてヨーロッパの言葉で書かれた文章にもない、うまい表現法がいまでも見出されるのである。〉
と結んでいました。
中国特有の理路が、確かにあると思います。
それをお手本にした1500年と、欧米をお手本とした150年では、10倍の開きがありますね。(日本が侵略したり、中国が共産化したり、といろいろあったためにその受け止めが難しいけれども)
(音読した人:きよもとさん)
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『芭蕉連句集』
岩波文庫、松尾芭蕉
三一 御尋に(曾良俳諧書留)105〜107ページ
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この歌仙を読み終わりました。
全体、いや後半に、墓とか戦の後など思わせられて、くらい雰囲気を感じていました。
最後は春二句で〆る、という流れは体に入ってきたので、
暗さからの急展開で春、という感じを感じることはできた気がします。
(音読した人:山崎)