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本線とする記事

noteを書きたいけど書けないというお悩みの岸波豊です。

久々の記事になってしまいました。仕事で遅くなったこともありますが、ブログ日刊をやめた途端、習慣化していたから書けていた部分がごっそり抜け落ちました。習慣化のデメリットという記事の、逆パターン。

ただし、書きたくないわけではなく、書きたいけれども、あれをしてこれをして、というハードルが少しでもあると萎えるという豆腐メンタル😱

じゃあ今日はなぜ書けているのかというと、書きたい気持ちはあるんですけども、ブログでない記事にする、というのが逆に制約になり、書きにくくしていた、と。書きたいように書けばいいじゃあないかと、再び自由を取り戻してみたわけです。

好きなように書いてみると、冗長な部分が出ます。消すのもおしい!しかし、冗長なんだ、ということで、そういう部分はアウトラインの下位層に落とし、非表示にして、おしい気持ちだけ落ち着かせると。

自由に書いても、後で「削除」し跡形もなくす、となると、私は、どうしてもそれでも書こうとする気持ちに抑制がかかります。書いたけど皆さんには見せない、というのとは、えらく違う。

この辺ができることは、単なるエディタより、アウトライナーの真骨頂ですね。

そして、冗長な部分が見えなくなったレベルで読み直すと、読みやすい!その部分やっぱりイラネ!と😁

この思想を一レベル上げたいと思います。どうにかこうにか一記事を書きます。一記事としてまとめるために、不要な部分があります。
その後、その記事の主要な「言いたいこと」を参照したいときは、リンク参照ではなく、主要なパーツだけを取り込み書き写すことにします。

もしかすると、そうして取り込んだ元記事は、いらないのかもしれません…が、ここでも削除ではなく、見えなくする程度で良いのでしょう。

本来私の言いたかったことがまとまった記事、これを本とする記事と言いますが、本とする記事が出来上がるならば、途中で、ブログ的記事を上げることは差し支えないかと思えてきました。そこから本とする記事の使えるパーツが現れるかもしれません。
やはり、書かないことには、何も生み出せませんね。

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