こんな時に役立つのが
私は高校生の頃から哲学を志し興味を覚えた本を片っ端から読んでいたが、最終的にギリシア哲学を学ぶ決心をしたのは大学三年生の時だった。
哲学は言葉も概念もギリシアのものだから、ギリシア哲学から始めなければいつまでたってもあてずっぽうの議論しかできないという話を先生から聞かされたからである。
それからは毎日、毎日朝から晩までギリシア語の辞書を引くことになった。
もともと私は幼い頃に次々と家族を亡くしたことがきっかけで死についてを関心を持ち、死とは何かという問いに答えを見出したいという思いから哲学を志したので、テキストを読むことが重要であることはわかっていても、来る日も来る日もギリシア語の辞書を引いてテキストを読むだけの日がいつまで続くのかと嘆息したこともあった。
大学院に入った年に、母が突然の病に倒れた。当時、私は関西医科大学の森進一先生の自宅で行われていた読書会に毎週参加していたが、母の看病のために出られなくなった。先生に、しばらく読書会に行けないことを伝えるために電話をしたら、先生は私に「こんな時に役に立つのが哲学だ」といわれた。
哲学は役に立たないと世間でいわれることが多い中、「役に立つ」という言葉は思いがけないもので、強い印象を私に残した。
週日は十八時間も母の病床で過ごした。母の世話をしている時以外は勉強した。大学に行けないので後れを取りたくなかったからだが、
死にゆく母を見ていると、母のように身体を動かせなくなった時になお生きる意味があるのかというようなことについて考えないわけにいかなかった。
母とドイツ語の勉強をしたり、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み聞かせをしたりしたが、三ヶ月の闘病後、母は亡くなった。
先生の言葉通り、哲学は役に立った。哲学を学んでいなかったら、親の死を乗り越えることができなかったかもしれない。哲学こそがこのような問いに答えを見出せるのだから。
母と帰宅した時、私の目の前に敷かれていると思っていたレールが消えた。研究室に戻ったが、もはや以前の私ではなかった。
その後、私はアルフレッド・アドラーの創始した個人心理学を知り、精神科医院に勤務することになった。
アドラーは、心の分析に終始し、現実を事後的に解釈するだけの心理学ではなく、人生の意味、幸福について真正面から論じている。その思想は二十世紀初頭のウィーンに突如として現れたのではなく、ギリシア哲学と同一線上にある哲学なので、私にとってはそれまで学んできたこととの間に何らの乖離を感じることはなかった。来院する患者さんたちと話していると、もしもソクラテスが今の時代に生きていればこんなふうにカウンセリングをしていたかもしれないとふと思った。
三木清が次のようにいっている。
「鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である」(『人生論ノート』)
どれほど幸福について論じてみても、それを論じる人が幸福ではなければ説得力がない。カウンセリングをしている時、いつもこう思っていた。自分のことは脇に置いて、プラトンはこんなことをいっていると論じるだけでは十分ではないということである。どう生きていけばいいのか、幸福とは何かという問いは安直に答えは出ないが、臨床の場面では目の前にいる人が変わる力にならないような知識は役に立たなかった。
医院に勤務していた時も大学でギリシア語を教えていた。ある年、受講生が少ないということを理由に突然翌年の閉講を告げられた。古典語を学ぶ意義を知らない教師がいることに驚かないわけにいかなかった。
プラトンの『ティマイオス』を翻訳出版した時、出版社に問い合わせが多々あって難儀したという話を担当の編集者から聞いた。『嫌われる勇気』がベストセラーになったので、その著者に翻訳させたのではないかとたずねられたというのだ。ギリシア哲学を学んできたからできたのである。
いろいろな可能性を諦めたが、残ったのがギリシア哲学でよかったと今は思う。