モノガタリの多様性〜「私だけ◯愛していた」問題→◯の部分は"が"なのか"を"なのか?
会社の宴会の二次会などでカラオケへ行くと、上司である父親世代のオジサマがよく歌うのが竹内まりやの「駅」。ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、元々は中森明菜へ提供された曲だった。のちに竹内まりや自身がセルフカバー、こちらの方がヒットした。
中森明菜バージョンを聴いてみるとアレンジも歌い方も暗い。すご〜く暗〜い。暗い理由はあとで述べる。
私も竹内まりやは好きだ。「純愛ラプソディ」「恋の嵐」「マンハッタンキス」etc…(なぜか不倫ものばかり…?)。好きすぎて、タイトルと世界観を借りた小説を書いてしまったほどに好きだ。
「駅」に話題を戻そう。この曲、男性が好んで歌うのはどうなんだろう、微妙だよねと、カラオケでオジサマが歌う「駅」を聴きなら、私はいつも思っていた。その理由は…。
黄昏れ時、通勤帰りの駅で、二年前に別れた元カレを偶然に見かけた。懐かしいという気持ちと同時に付き合っていた頃の苦い記憶がよみがえり、
「あなたがいなくても元気で暮らしているよ」
さりげなく元カレへ言いたかったけれど、やっぱりやめてしまった。人ごみに消えていく元カレの背中を見送る彼女に、今の日常が戻ってくる。
…ああ、わかるなぁ、この感覚。
元カレへの気持ちは消えてはいない。久しぶりに見かけたその後ろ姿に懐かしさを感じた。けれど、すでに過去のこと。好きだった気持ちも苦い記憶も何もかも、すでに終わってしまった過去のことだから、そうっとしておこう…。
というのが私の解釈。だから男性がこの曲をカラオケで歌う時に、
「元カレの立場から歌って楽しいの?だってすでに元カノから吹っ切られているんだよ?」
と思っていた。
しかし、同じような内容のエッセイを、とあるSNS(出会い系サイトの日記)で書いたところ、複数の男性からこんな主旨のコメントをいただいた。
「駅」って良い曲だよね。まだ彼女は彼を愛している。女の未練っていうのかな。すごくよくわかるよオレ。
…は?ぜんぜん違うと思いますが?その解釈は都合良すぎません?だから男ってさあ。
とは言わずに、
「まあ、解釈は人それぞれですから」
自分よりもはるかに年上のオジサマに絡まれるとめんどくさいので無難なコメントを返しておいた。
こんな風に、まるで正反対の解釈が生まれる理由は歌詞に原因がある。
「私だけ 愛してたことも」
これ。この歌詞。曲を聴いていると、"だけ"と"愛"の間の空白に当てはまる文字(助詞)を無意識に補完する。私は、曲の世界観から、
「私だけを愛していた」
"を"の助詞を当てはめていた。しかしこれがもしも「私だけが愛していた」になると、まるで意味が違ってしまう。
中森明菜バージョンの「駅」は後者の解釈で、だから暗い。作詞者(竹内まりや/山下達郎)サイドの正解(意図)は…興味があったらネットで調べてみてください。
まあ、が でも を でも、好きなように解釈して楽しめば良いと思います。
小説も同じですね。読者の数ほど解釈や感想があって当然、解釈が一つしかあり得ない小説なんてつまらないでしょう?推理ものですら多様な犯人像へミスリードしますからね。
「(物語の)真実はいつもひとつ」じゃないから。
追伸
◯藤◯奈さま。私のコメントで誤解させてしまったみたいでごめんなさい。いつも楽しく読ませていただいています。
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