【気になる言葉】 「親切」と「義務」について
こんにちは、看護師Webライターのきしかわです。
今回は私が気になった「言葉」ということで、「親切」という名の「義務」になり得ることがありますよね。
どうして、「義務的」になるのでしょうか?
幼少期から「人には親切にしなさい」と言われて育ちました。
確かに「人に親切にする」ことで、自分も助けられることがあったので、とても良い行動だとおもいます。
でも、「親切」と思ってしたことが、相手にとって良いことじゃない時もあります。
これは、「親切」の押し売りになり非常に迷惑なことになります。
「親切」って何なんでしょう?
「親切」ってなんだ?
まずは、「親切」という漢字ですが、「親」を「切る」と書きます。
親切という意味合いとは、かけ離れた熟語ですよね。
辞典で調べてみると、ここでいう「親」は、身近な人であったり親しい間柄の人を指します。
そんな親しい人を大切に思うような意味があるそうです。
また、昔は「深切」という漢字が使われていたそうです。
ここでは、「切る」という漢字が、「自腹を切る」という意味合いで、「自腹」とは自分のお金という意味合いがあり、お金は、大切なものです。
そのお金を相手の為に、使うと解釈すると書かれていました。
「義務」って何?
「義務」の意味は、道徳的・倫理的・社会的・法律的・宗教的にしないといけないこととされています。
「義務」となるだけで、責任やらの重みが増しますね。
「義務」は天秤のように、「権利」という言葉が付いているように感じます。
まとめ
「親切」と「義務」の意味をみてきましたが、幼少期の「人に親切にしましょう」という声掛けは、「自分が出来る範囲の親切をしましょう」の方がいいかもしれませんね。
人から言われてやる行為は、「義務化」されやすく見返りも求めますし、必要でない親切にも繋がる可能性があります。
ここで誤解されたくないんですが、「親切にするな!」ということを言いたい訳ではありません。
「深切」の意味で「自分のお金を相手の為に使うこと自腹という」と書きましたが、親切はお金(自分の行為)を使って行うことなので人に言われてすることではないんです。
他人軸や空気を読んで「親切」をして「良い人」になる必要はありません。
自分のできる範囲で相手の為になるようにお金(自分の行為)を使って相手と自分を豊かにすることは、義務化されていない「親切」だなっていう自分なりの答えにいきつきました。
今回はここまで、最後まで読んで頂きありがとうございました。