自分の筆遣いと余地について
西川寧「書道講座」シリーズが好きで時折紐解く。この本の面白い所は名だたる書作家の執筆姿勢が写真で公開されているところだ。好きな書家がどんな姿勢で、どんな筆の持ち方で書いていたのかを見るのは愉しい。
ところで、先生は「書は動作の中で完成する」と仰った。至極当然のことであるが、裏を返すと「動作によって完成」するのである。姿勢や筆遣い、その緩急や強弱など、それらの要素によって現れる字が決まる。
ふだん、臨書をするときは法帖を当たる。臨書手本を見ることは少ない。ただ、なぜか今日は臨書手本を見て臨書したくなった。そこで、前述の書道講座を開き、松本芳翠先生や手島右卿先生といった名だたる書家の臨書手本を見た。もちろん、うまく真似できるわけはない。どうやって書いているのか。お二人の執筆姿勢を見てみることにした。そこで気づいたことがある。
私は手首を非常に立てる癖がある。そのほうが筆が立つと思っているからだ。小筆が苦手な私は、この持ち方で字が潰れることを防いできたところもある。
ただし、この持ち方の弱点に気づいていなかった。常に手首より先に力が入っているのだ。手首から先は常に緊張状態にあり、そこから作用して腕、そして全身に力が入っている。さらにいうと、肘も上がりにくい。
全力を尽くすためには、力を抜くことが重要だ。常に、そして全身に力を入れていると、必要なところに力が伝わらないうえ、自由に体を動かすことができない。スポーツも同様だ。野球のバッティングなどは、如何に力を抜くか、如何に必要なところにのみ力を伝えるかが肝要となる。
つまり力を伝える「余地」が大切になるのだ。全力を尽くす、というのはもちろん大事である。しかし、全力を尽くすためには逆説的に「余地を作る」ことが重要になる。そんな風に思った愉快な体験だった。