モノクローム
寒い。
……ただ、ただ、寒い。朝補習ってのはこれだから、イヤなんだよなぁ。
あーあ、道路なんか霜で白っぽくなってる。息も、吐き出した途端凍っちまいそうだし。
お願いだから、こんな時期にガッコなんか行かせないでくれよ。この季節にはいつも、こう思うけれど……今年に限っては、どうもそればっか言ってらんない。
ずっと自分をはぐらかしてきたけど、そろそろマジにならなきゃ実はヤバイ。
だって、もうすぐ受験本番。
大学に行って、モラトリアムを増やす。
不謹慎だけれど、確かにそれが現在の俺の原動力。
……俺が、こーんな状態なのに。
のんびりのんびり、遊びやがって……。
「にーちゃん、見て見て息が白いっ!」
「んなモン寒いんだから当たり前だろ」
早口でそう言ってやれば、ちょうど左下の方向で頬を膨らませる気配がした。
肌も凍り付きそうなほどの冬の風に吹かれながら、隣で無邪気に騒いでやがるのは九つ年の離れた弟。俺が今高三で、コイツが今小三だから……考えてみれば、両親はかなり頑張ってんだよなぁ。
普段は遊んでやれば喜ぶし、好奇心旺盛で何にでもすぐに首を突っ込みたがる、可愛い弟だったりするんだが。生憎朝はそんな余裕持ち合わせちゃいない。こんなに寒い、今朝みたいな日には特に。
寒さを他のせいにしてみたり、仕方なしに勉強しようとするのはきっと、俺にとっちゃ同じようなモンなんだろう。今現在の苛々を、弟のせいにするのも。我ながら、あんまり心が綺麗とは言えない人間に育ってしまったと思う。ごめんな母さん、あ、父さんも。
「ふーんだ、兄ちゃんのバカ、ばぁーか」
隣——左斜め下の方向からぶつぶつと呟きが聞こえてくるが、聞こえないフリ。
そんなコトをしながらもゆっくりと歩き出せば、素直に後ろからちょこちょこくっついてくるから、やっぱ可愛い。……兄馬鹿。
見上げれば、空はどんよりとした灰色。
今踏み締めているコンクリートの道路と、お揃いの灰色。
視界はまるで、モノクローム。
明度しかない、モノクローム。
「あ」
ずっと押し黙っていた弟が、耐えかねたように声を上げた。いい加減、不貞腐れるのにも飽きたらしい。視線の先には、ふわりと舞い落ちる雪の欠片。
すげぇ冷えるなと思ってたら、雪なんか降ってきやがった。ちっと舌打ちしたその横に、いつの間にやら弟がいない。
微妙に慌てて前方を見やれば、人の心配も知らず降りてくる雪と早速戯れている。
「おーい、お前、遅刻すっぞ」
「ん、いーよ、そんなのー」
てめぇ、小三のクセに学校なめんなよ……って、俺もか。
「おい、マジ置いてくぞ」
「あー!」
聞いちゃいねぇ……。
「にーちゃん、アレ見てアレ!」
黒目がちな瞳をいっぱいに見開き、空中に人差し指を一本突き立てて、人の気も知らずわめいている。……やれやれ。
「何だよ、雪だろ? もう分かったって」
「ちーがーうー。あれあれ!」
だから、雪だろうが! と短い指が示す方向を見遣ると、そこには。
「白い羽根っ!」
そう、灰の視界に慣れた瞳には眩しすぎるほどに真っ白な羽根が、たった一枚。
それは、とても淋し気に、ひらりひらりと舞い降りていた。
雪とともに落ちてきた何者かの白い羽根が、弟の手の平に収まっている。例え僅かでも力を込めれば、すぐにでもぐしゃりと潰れてしまいそうな儚さ。それを、未だ幼い彼はいとおしげに眺めた。
一瞬で壊れてしまう物なんか、俺は大嫌いだ。いくら大事に大事にしても、崩れ落ちるまでの時間は刹那。手に入れそして失っちまうまで、その間が酷く短いんなら、初めっから手に入れねぇほうがまだマシだと思う。
それでも、人は儚い物が好きで。
それでも、人は儚い者が好きで。
手に入れて、喜んで、失って、傷ついて、そんな自分のことを可愛いと思う。自慰的なそのサイクルを繰り返して、きっと毎日生きてるんだろ。
例に洩れず俺だって、大っ嫌いな儚さが、本当はすげぇ大好きなんだからな。
「鳥の羽根かなぁー?」
真っ白な羽根をひらひらと振り回しながら、弟は視線だけをこちらに向け問いを寄越した。
……鳥の羽根だとしたら、何の鳥だ?
まじまじと眺めてみたって、野鳥好きでも何でもねぇから到底分かるはずもなく。
知るかよと思いながらも、どう答えてやろうかと悩む。全く、朝補習の前にただでさえ足りない頭を使ってどーすんだ。
「あぁねー……」
うーん、なかなかイイ答えは出てこねぇか。
「ねー、にーちゃん、何の鳥? これっ」
だーかーら、ちょっとくらい待ってろ! 今、必死こいて考えてやってんだよっ。
心の中で怒鳴った途端、妙な『答え』を思いついた。
しかしコレ、こんなちっこいガキが、面白がってくれるだろうか。
子供は時として信じ込む。おいおい嘘に決まってんじゃねーか、と思えることでさえも。
……まぁイイか、とりあえず遊んでやれ。どうせこーんなどうでもイイこと、すぐに忘れてくれるんだ。一応、人が一所懸命考えたってのにさ。
「にーちゃんってば」
「何だよ、バーカ」
「バカじゃないもん。バカって言うほうがバカなんだもん!」
いや、そーでなくて。
「この羽根のコトも分かんねーくせに、大口叩くなって」
「えっ?」
よしよし、注意が向いたぞ。
「わ、分かるの? 分かったの?」
「そーだな」
ワザとらしく顎に手を当ててみる。感じるのは、羽根の正体を掴みかけたと信じ切っている期待の視線。
「ブッ壊された、天使の羽根だよ。……知らねぇの?」
幼い双眸が、一瞬だけ灰色に震えた。
「……へ?」
「天使はな。本当は『天使』って書いて、『にんぎょう』って読むんだ。神様が作った、カラクリ人形ってとこだな」
それはコイツのせいなのか——俺は、作り話が上手い。
ほんのちょっと目を離した隙に、俺らみたいなイキモノが世界中に増えちまって、神様はやたらと忙しくなったんだ。
で、自分の代わりにある程度働いてくれるヤツを作った。それが天使。神の御使い、なんて名目もついてる。そいつらは、自分達を作ってくれた神様のために一生懸命働くんだ。
だけど、そいつらにも欠点があった。働きすぎっと、自分でも気付かねーうちに壊れちまうってトコだ。
神様は微妙に困ったけど、どーせ何度でも作れるからイイかって思ったんだろ。その所為で、天使は必ず壊れることになった。
神様としては、自分の思い通りに動いてくれりゃ良かったんだしな。だから、天使達が何も考えずに神様に従ってるときは、まぁ、良かった。それが、自分達だけでも物事を考えられるようになっちまったんだな。
ずっと自分だけで色々なコトを決めてきた神様にとって、それは面白くない。知らねぇうちに頭を良くした天使達が、どんどん自分達の意見を言うようになってきたからだ。進化って、怖ぇのな。
そんで一番多かった願いが、コレ。
「天使が壊れないようにして欲しい」
それを聞いて神様は、冗談じゃない、と思った。ただでさえ何だか煩くなってきたってのに、これ以上丈夫になったらどうするんだ。人形は人形らしく、大人しーく壊れちまってイイんだ、って。
さすがに言わなかったけど、天使達は神様が考えたことに気付いて腹を立てた。そりゃ、そうだよな。一生懸命働いてるってのに。
いよいよやかましくなった天使達に向かって、神様はこう言った。
「従うと誓う者だけを、不死にしてやろう。来なさい」
……結局、みんな、行ったんだ。天使達は怒ってはいても、一人残らず神様を信じたんだよ。何せ、そのヒトは創造主だ。そのヒトが、自分達を裏切るはずはない、とね。
けれど……それは、ひどく単純な嘘だった。
神様は後からついて来た天使達を、次々に壊した。
本心から神様に従おうと思って来たヤツらだっていたんじゃねぇかな。でも、自分に反論ばかりする天使達を始末することしか、もう神様は考えてなかったんだ。
こうして一旦、世界に天使はいなくなって、また、神様だけになった。
そして神様は、天使を作り直した。
今度はもっと、早く壊れちまうように。
今度はもっと、賢くなれる時間なんて与えないように。
いくら一生懸命に働いても、時が来れば一瞬で崩れ落ちる儚い人形。
いくら自分で考える力をつけても、神様の決定次第ですぐにでも壊れちまう脆い人形。
俺らみたいなイキモノが必ず死んじまうように、生まれた日からそう遠くないいつかに必ず壊れることを定められちまった、哀しい人形。――それが、『天使』。
神様が作った、『カラクリ人形』。
我ながら、良く出来た話だと思った。
「……って、ワケだ。分かったか?」
俺は弟の顔を覗き込んだ。いつの間にか俯いて、表情がまともに見えなかったからだ。
弟は手の内の白い羽根を凝視していた。それこそ、ただの一度も瞬きしてねぇんじゃ、と思えるほど。
「おい」
呼びかけても、返事はなく。
「……おい?」
こちらには、目もくれないで。
「……おいっ、どこ見てんだっ?」
表現しようもない不安感に駆られて、その細い肩を思い切り揺さぶる。
ゆっくりと顔が上がる。彼は泣いていた。
「……おい、どうした……?」
寒さのせいか、それとも唐突に込み上げる不安感のせいか、みっともなく震えた声で問えば。
「……泣いて、るんだ」
微かにしか聞こえない、声が返ってきた。
その声はひどく小さくて、今までに聞いたこともない切羽詰まった響きを含み。
「おい、大丈夫か……?」
ゆっくりと、首が横に振られる。真っ直ぐな髪がさらさらと揺れて、流れる。頬を伝う涙の粒が、零れ落ちた。そして。
「……みんな、泣いてる」
「え?」
「……みんな、泣いてるよ」
「……誰、が?」
弟の小さな双眸が、俺の双眸を真正面から見据えた。その色は。
ぞくりとするような、モノクローム。
全ての色からその鮮やかさを奪い去った、モノクローム。
「ねぇ、にーちゃん」
「……何だよ」
「僕達も、壊れるの?」
——ボクタチモ、コワレルノ?
この灰色の世界でまた一人、天使が壊れる音を聞いた。
モノクローム 終
再掲元:個人誌「色葉言葉(いろはことのは)」2003/11/06
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