ご無沙汰しております/にしんの食べ方がわからない 他
【ご挨拶】
こんばんは、如月伊澄です。
ご無沙汰しておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
なんだかんだで年も明けてしまいましたが、皆様今年もよろしくお願いします。
ところでイスミさんは状態異常「文章が書けない」になっておりました。
というか、今もリハビリ中です。
以前「文章の書き方講座」というものをやっていましたので、それに沿って書くことで少しづつ取り戻して行けたらいいなと思います。
まあ、今回は特に気にせず書くのだけど。
【にしんの食べ方がわからない】
鰊とは?
今日、久しぶりに「にしん」を食べた。
大型の魚を塩焼きでまるごと食べるのは、確か・・・・・・2,3年あるいは4、5年、とにかく久しぶりのことである。
家で魚を焼くとしても、せいぜい鮭の切り身だとか、最近高くて買いづらいサンマ、節分にいわし(明太子のつまってるもの)で、こういう「鰊」などという魚は、ほぼお店でしか食べた記憶がない。
お店で魚の塩焼きを食べる機会など、数年に一回あるかないか、なので、本当に珍しい体験だった。
焼き魚定食は「縞ホッケ」「にしん」「銀鮭」に確か「鯖」の中から、一つ選べるシステムだったので、珍しさもあって「にしん」を選ぶ。
選択の結果としては、おとなしく正体を知っている縞ホッケにしておけばよかった。(ところで、以前まで縞ホッケは島ホッケだと思っていた。どうやら真ホッケと縞ホッケなるものがあるらしい)
定食が運ばれてきて、にしんの身を開くと、なんとまあ骨が多い。
いわしも小骨が多いが、負けず劣らず小骨が―――いや、骨が多い。
たぶんこれは骨ごと食べる魚だと思っていても、喉に刺さった経験がある人はわかると思うが、とにかく躊躇する。
かといって、いちいち骨を外していてはキリがない。サンマみたくするっと外れてはくれないものだろうか。昔は本当に食卓の優等生だったんだな、秋刀魚。
骨と格闘すること30分、なんとか身を食し、店を後にした。
綺麗に食べよう、なんて気持ちはすでにどこかに消えていて、とにかく食べれる部分を食べることで必死だった。
魚好きの人からは怒られる食べっぷりだったとは思うが、本人は必死だったのである。どうか、許して欲しい。
あと、次からは魚の種類を選べる機会があればホッケにします。
【一口目】
骨はともかく、にしんはとても美味しかった。特に一口目。
最近思うことがあって「美味しいものの一口目は美味しい」。
千鳥のネタでなくて、そのままの意味である。
肉も魚も、脂が強い食材は本当に一口目が美味しい。
そして一口目から、どんどんおいしさの数値が下がっていく気がする。
昔はそうではなかったはずだ。
サーロインも焼き肉も、とにかくいつまでも美味しかったし、量も食べられた。
年を取って(といっても、そう嘯くほどの年ではないのだけど)量を食べることができても、最後の方は「美味しい」と感じなくなるというか、「もう満足だから、これ以上はいいかな」と感じるようになってきたというか。
さらに年を取ると、これが加速していくというのであれば、恐ろしい限りである。大人になると薄味が好きになるというが、濃い味は食べ続けると飽きるということだろうか。
あの頃、魅力的だった「サーロインステーキ200㌘」より「フィレステーキ100㌘」に惹かれるし、「カルビよりタン、ハラミだよね」の意味がわかってきた気がする。
しかし、ということは「一口目だけをたくさん食べることができる食事」があれば大人は満足できるのではないだろうか?
新たなビジネスチャンスをつかんだ気がしていたが、よくよく考えてみるとお金を持っている大人に向けた高級店は、大体「少ない量で、高級なものを」であるし、なるほどよくできているなと思う今日この頃である。
説明されても子供にはわからない世界。
あと、一般的な家庭料理ってそもそも食べ過ぎることがないし、最後まで「ある程度美味しい」が続くメニューが大半なのも、よく出来ているなと思う。
それでは。
1週間に1本くらいのペースで復帰できたらいいな。