養育環境 〜幼少期〜
世間を知らずに若くして結婚したお嬢さんの母と、生粋のアウトローだった父の元で私たち兄妹3人は育った。
兄2人と末っ子の私は少し歳が離れていたのもあって、目まぐるしく変化する両親の生活環境に比例して、兄妹間で養育環境は少し違っていたと思う。
愛情がない家庭ではなかった。
笑いがない家庭でもなかった。
関西によくある明るい家庭であったと思う。(これは記憶が塗り替えられてる可能性はあるけれど)
ただ、金銭事情のアップダウンは激しかったと思う。
父がギャンブルに溺れて、お家にお金がなかったこともあると思う。
(幸い母の実家が裕福だったので影で援助してもらっていたはず)
それに伴って、両親が喧嘩することも多かった。
母はおっとりした性格で天然なところがあったが、いつも疲れていて、父の愚痴を私に吐き続けた。
そして悲しそうで、辛そうにした。
かと思えば、父と仲良く腕を組んでいることもよくあった。
私は母がいつお家からいなくなるんだろうといつも不安な気持ちを抱いていたことを、なんとなく覚えている。
だから小学校低学年くらいまでは、いつも母のくっつき虫になって、どこにでも付いていっていた。
母は自分が辛い思いをした経験上だと思うが、悪気なく「離婚したい時に離婚できるよう女性一人でも食べていけるよう手に職をつけてね。看護師になったら良いと思う」と幼少期から私に言い聞かせた。
こんな子育てって不健康だ・・・と大人になった私は思い出すたびに悲しい気持ちになる。
コレだと私のベースが不幸すぎる。
父はすごいアップダウンの激しい性格だった。
私は小さい頃の記憶があまり残っていないのだけれど、小さい頃の記憶の中では父は機嫌が悪いことが多く、プチっとキレるとやけくそになるタイプで、なんだか嫌な感じだった。
だから私はいつも「今日の機嫌はどうなんだろ?」「乱暴な行動はしないかな」と無意識に見張っていた。そして、いつも父から母を守らなければと思っていた気がする。
私が小学校高学年になった頃に、お店を始めたのだけれど、それまではお仕事をしたりしていなかったりだった。
お仕事をしていない時はギャンブルに溺れたり、毎日お布団の中でゴロゴロしてテレビばかりみたり。
その姿が嫌すぎて、父の友人である優しくてきちんと働いている人が自分のお父さんでお母さんが自分の母であれば私はきっと幸せだ。と父を父の友人に置きかえて妄想し、なんとかその時代をやり過ごしたと思う。
気分屋な父であったが、毎週海水浴に行ったり、キャンプに行ったり、お友達をお家に呼んでみんなでご飯を食べたり、アクティブでカッコつけで、ひょうきんで調子乗りだった。
お家の外では人気ものだったと思う。
でも、私や兄たちはきっと父のことを「なんか嫌、迷惑な人」だと思っていたと思う。
そんなアウトローな父だったが、お店を始めてからは早朝から夜遅くまで働き詰めの日々が始まった。
それには同じペースで母も巻き込まれていった。
そして母はいつも「くたびれた」と言っていた。
小学生で鍵っ子だった私は疲れ切って帰ってくる両親の助けになりたくて、お家の掃除や洗い物など、両親が帰宅したらすぐに寝ることが出来るように家事をした。
そのうちバスに乗れるようになると、1人でお家にいる寂しさもあったのか学校が終わるとバスに乗ってお店に行き、両親に並んで翌日の仕込みを手伝った。
私が手伝えば少しでも仕事が早く終わる。
そうすれば、両親は1分でも早くうちに帰られる。
疲れてしんどい日もあったけれど、少しでも手伝えば両親は早く帰られる。そして両親と一緒に過ごす時間ができる。
そんな事を無意識に思い手伝う日々だった。
この頃には金銭事情も以前よりは良くなり、お店の合間に母と近くの商店街でよくお買い物をした。
大好きなバッグを色々買ってもらったり、アクセサリーを見に行ったりして嬉しくて楽しい時間だった。
受験の頃になると、母は私と交換日記を始めた。(記憶が曖昧だけど、ほとんどが母からのメッセージであったと思う)
朝起きるとテーブルに朝食が準備されていて、交換日記にメッセージが書いてあった。
今思うと、忙しい毎日の中で睡眠時間を削って朝食を作り置きしメッセージを残していてくれた事に温かい気持ちになる。
回想していくと、色々と環境が変わって行ったことが思い出される。
虐待もなく、ネグレクトでもない、親戚、友人との付き合いも豊かであった一見仲良し家族が、肝心な愛着形成の時期に、あまりにも家庭内が不安定で安全基地ではなかったと今なら分かる。
子供が子供らしく、母や父に純粋に甘えたり頼ったりできず、本音を言わずに自分を犠牲にして両親の状態を1番に考えるように自然となっていった。
母の愚痴や泣き言を聞き、慰め助言をしてきた。本来の親の役割を自分が担ってきた部分がある。
親を喜ばせたい、楽にしてあげたいという気持ちが強く、親が、特に母が悲しそうにしたり疲れ果てていると、すごく落ち込んだりやり切れない気持ちになったりしていた。
カウンセリングを受け始めて、初めてこの事に気づいた。
そう。
私は私の意見を言っているつもりだったけれど、本音は別にあって優先しているのは、いつも円滑に物事が進む事を選択していたみたい。
掘って掘って、ようやく分かったこと。
思い出すことに少し疲れたので、今日はここまで。