自己紹介|ひろき@ひとのこと
という一般的な自己紹介はさておき、30年の歴史を振り返って
〇ライフシフト=生き方が変わった(変わらずを得なかった)時
〇最悪と最高の思い出
〇幸せだと感じること
を紹介しますっ!
○ライフシフト=生き方が変わった(変わらずを得なかった)時
自分の人生が大きく転換し始めたのは、
25歳。教職2年目、とある教員同期との出会い。
2年目にして教員をやめるという同期に出会った。
眼から鱗だった。安定の代名詞、公務員を颯爽と辞めていく彼。
簡単に言えば理由は”もっとしたいことがあるから”だった。
そんな人生生きていいのか!?と雷に打たれた感覚だった。
こんな風に生きられたらなーと、夢は見るものの、それはテレビやネット、本の向こう側の話で、自分にはそんな人生を実現なんてできないと諦めていた。
彼との出会いで、自分にも何かできるかも知れないと情熱が湧いてくる
26歳。教員から旅人へ
彼の後を追いかけるように教員を辞めた。
退職にあたっては、両親と喧嘩した。
生まれて初めて本音を伝えた日だった。
教職最後の1年間は、自分の想いと環境があまりに違いすぎて、職員室で手が震えていた。(鬱だったと思う)
離任式の翌日から旅に出た。
僕は同期の彼とは違い、やりたいことが明確ではなかった。だから、自分がやりたいことはなんなのかを見つける旅に出た。
27歳。あっことの出会い、そして就職
旅に出て半年、一人でいることに飽きを感じ、ひとつの想いに気づいた。「生きるということについてとことん探究していくような人とともに生きたい」というものだ。
東南アジアから帰国した翌日、僕は岐阜にいた。
そこで、代表のあっこと出会い、その翌日、福岡へと向かう。
参加した講座の中で、真っ向から参加者と向き合うあっこの様子に、感銘を受け、次はここで学びたいと思い、いろいろあって入社。
28歳。あっことの出会いその2
入社して半年、あっこと仕事をしているとき、ふと共通のビジョンを同時に見るという経験をした。
その時から彼女にたいして双子の妹のような感覚が生じ、何か特殊な縁があるとしか思えなくなる。
いろいろあって、会社が大幅に事業転換。
”ひとのこと”として、実質の創業を経験する。
〇最悪と最高の思い出
最高も最悪も
親からの自立
に限る。
長い間、許されるだろうこと、両親のメガネに叶うことのなかから選択することを続けてきた。
それも自分の選択ではあったが、”自分の心から喜ぶことを決める”という選択をしたのは、25歳の退職の時が始めてだ。
当時、親の価値観の範疇を超える自分の意見を伝えることは、嗚咽が出るほど怖いことだったが、そこから自分らしい人生へとのめり込んでいく経験と、その先で出会った新しい自分、そして、新しい人間関係が両親を含め、あらゆる人と始まったことが幸せだと感じている。
〇幸せだと感じること
自分の中に眠っている想いや感情に気づく時、そして、それを様々なかたちで表現している時。
自分は、表現ということにとても制限をもつように生きてきた。
自分の想いを伝えることも、欲求を伝えることも、覆い隠すようにしていたことで、大人になった今、自分の思いがなんなのか、感じている感情がなんなのか本当に認知が困難だと感じることが多々あったし、今でも多々ある。
それでも、自分の心に感じていることがなんなのか体で表現できたときは、とても幸せと感じる。
言葉で、文章で、アートで、ボディワークで、それらを表現することがひとつの自分の生きがいになっている。
その表現の一つ一つが自分を癒し、誰かにとっての気づきやきっかけとなったら幸せだ。