長かった・・・のかな?
2024年9月27日(金) 曇りときどき雨
思えばずっと昔から小説家になりたいと思っていたのだけど、それでたくさんの「小説家になる」系の本を読んできたのだけど、決心がつかないというより、憧れは憧れのまま残しておきたいという気持ちがどこかにあったのだろう、ずっと何もできないでいた。
小説ではないのだけど、著述で生計を立てるということはもう何年もやってきた。最初に著述でお金をいただいたのは書籍の執筆だった。考えたらかなり恵まれた話だ。
その実績を基に、雑誌に連載を持たせてもらったり、法人から仕事をもらったりしてきた。あるとき決心してライター専業になった。それからはビジネス書のゴーストライターも何十冊もやった。
そして、いろんな理由があるのだけど、ここには書かない。ただ切羽詰まったのだと言っておこう。とにかく小説家になりたいという気持ちになった。自分では最後の挑戦のつもりだ。
小説家になりたいと漠然と思っていたのが、なれないという気持ちもずっとあったのは冒頭に書いたとおり。だから本気で思ったのは、実は先月の終わりごろだ。それが表題の「長かった・・・のかな?」の意味合いである。
それから、過去に買った「小説家になる」系の本のうち、テクニック系の本ではなく、モチベーション(意識・姿勢)系の本を何冊か読み直した。
どんな内容かはここでは書かない。著者を列挙すれば、どんな感じの本かわかるのではないだろうか。というか、わかる人に向けて書いている。
町田康
高橋源一郎
三田誠広
後藤明生
花村萬月
保坂和志
筒井康隆
このうち三田さんの本は、創作をしたい大学生向けの講義をまとめた本だからか、ややテクニカルなのだけど、実存主義と構造主義のおいしいとこ取りをしようみたいな話はかなり参考になった。それだけだが。
これらの本に基本的に共通しているのは、とにかくいきなり書き出さないということ。それで私はこれらの本を読みながら1カ月ほど書き出さずにひたすら考えてきたのだった(と書くとかっこいいが、ひたすら逃げてきたというのが本当だ)。
天啓かどうかは今の段階ではわからない。とにかくヒラメキが来たのは昨晩だった。
あのつらかった、でもまったりしていた、つまり自分のことを考え続けることができた2カ月を書いたらどうかと思ったのである。
それで今日になって、まず登場人物とプロットだけまとめてみた。いちおう現在形として成り立つようなプロットにした。
今後、思いついたことがあれば、これに書き足していくつもりだ。タイトルがないのは、保坂和志さんの流儀を参考にさせていただいた。彼は、書き終わってもタイトルをつけないのだそうだ。いろいろと不思議な人だが、小説家というにおいが町田さんと同じぐらいする。
実を言うと私もゴーストではない、自分名義のビジネス書を10冊ほど出しているのだが、タイトルを自分で決めたことはない。編集者が決めてくれる(というより、私のタイトル案はだいたい却下される)。タイトルにこだわる小説家も多いと思うが、少なくとも私にはこだわりはなく、誰かが決めてくれたほうがよいぐらいに思っている。
さてプロットもある程度できたので、いきなり書き始めようと思ったのだが、書き出しは難しい(と、みんな言っている)。いくつか案はあるのだが、どれもしっくりこない。
ということでなかなか書き出せないのだが、そろそろ始められそうな予感は十分している。というか予感で終わらせたくもない。
目標は芥川賞なので(目標だから人に笑われるぐらいでちょうどいい)、とりあえず150枚と設定した。簡単に超えそうな気がするは、超えたら省けばいい。スリム化するほど良くなるのは、小説だけの話ではなく、あらゆる文章で言えることだ。
書き出しがなかなか決まらないので、出てくるまで、いわゆる「写経」をやってみることにした。ビジネス系のライターとしては一切やらなかったことだが、小説ならやってみる価値はあるように思った。
芥川龍之介の『芋粥』を写している。ただ私が持っている仮名漢字変換ソフトは現代語用なので、旧仮名遣いまで厳密に再現すると時間がかかる。現代仮名遣いで入力することにした。
芥川のいわゆる「王朝物」は、すごく癖があると写経して気づいた。やたらと読点(、)が多いのである。読んでいるときはまったく気づかなかった。それ以外の小説もいくつか見たのだが、王朝物以外はそれほどでもない。わざとなのだろう。
ビジネス書でこんなに読点が多かったら気持ち悪くなって読めなくなるのだが、これが小説というものなのかもしれない(知らんけど)。
なるほど。小説の写経はやってみるものだな。