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病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也

これって、剣士だけでなく、あらゆるなりわいの人にあてはまるのではなかろうか。

剣士が振り払うべき病あるいは強迫観念は、次の通りだ。(1)勝利への欲望、(2)小手先の技に訴えたがる欲望、(3)学んだことをすべて示したがる欲望、(4)敵を威圧したがる欲望、(5)受け身的な役割を演じたがる欲望、そして最後に、(6)何であれ自分が患いそうな病を避けたがる欲望、である。このうちのどれか一つにでも心が支配された時、彼はその欲望の奴隷となり、剣士として自らに与えられた自由を、すべて失う。

『禅と日本文化』鈴木大拙、碧海寿広訳、角川ソフィア文庫

ご参考までに、(1)~(6)の原文はこの通り。

かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習のたけを出さんと一筋におもうふも病、かゝらんと一筋におもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也。

『兵法家伝書』柳生宗矩、渡辺一郎校註、岩波文庫

(1)~(5)は、私たち凡人が陥りがちのことであるが、意識すれば避けられそうなことでもある。避けようとも思わない人のほうが多そうだが、そのような人は本当の意味で尊敬されない。逆に避けている人が尊敬されるのは、避けられそうとはいえ、やはり難しいことだからだろう。

問題は(6)だ。いま「意識すれば避けられそう」と書いたばかりだが、それも病気だと言うのである。

言い方を変えると、「意識すれば避けられそうなことだが、意識して避けているようだと、やはり尊敬されない」ということだ。

そもそも尊敬されることが目的ではないので、それは改めて断っておく。ただ(1)~(5)を意識せずに避けている人がいたとしたら、尊敬しない人はいないのではないだろうか(二重否定ですみません)。

では、どうすれば(6)を避けることができるのか。それこそが禅である。また西田幾多郎先生が言われた「絶対矛盾的自己同一」である。

言葉で言うのは簡単だが、もちろん私はそんな領域には至っていない。そんな領域があることがおぼろげながら見えてきた段階である。まるで偉くはないのだが、病気の人が多いように感じ、何かのヒントになればいいなと思って、朝っぱらから書いている。

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