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なんとなく決めていること

Writing about music is like dancing about architecture. 
                                                          
                                 - Thelonius Monk(誰の言葉かという点は諸説あるらしい)

「音楽について書くということは、建築をダンスで表現するようなものだよ。」= 「多くを語らせてくれるな、実際に体験してみりゃ君も何か感じるだろうさ。」という意味だと私は勝手に解釈している。

この言葉を初めて見た時、私はハッとした。なんと美しくて力強くて遊び心のある表現なのだろうと、顔がにやけてしまった。
アーティストの、自分が創り出すものへの自信みたいなものを感じたのだった。

私はそういったクリエイトする人々の思いをリスペクトしたいと常々思っている。もちろん、見たり聴いたりする自分のコンディション次第で、「これ、めっちゃ好き!」とか「んー、なんかしっくり来ない。」とかいろいろ感じるのが事実だ。
でも、そこで作品を いい/悪い/どっちでもない で批評してしまうのは畏れ多い気がしてならない。

多分、私は自分がインプットしたものについて、これから先、このnote上で感想を書いていったりもするのだと思う。その時の自分という器で見たり聴いたりしたから私の中に生まれてきた思いについて。
感情に流されたり、無になったり、何かを求めたり、インプット後に生まれる衝動はさまざまある。
この、シチュエーション × 感情 × インプット対象 の無限の組み合わせを想像しただけでドキドキするのは私だけだろうか。
クリエイターの定義って何?私はクリエイターではないです。と思ってきた種の私のような人間でも、この無限の組み合わせが「私」というメディアを介して、新しい想いとなり、言葉となることに対しての期待感を持たずにはいられない。
私も何かを「クリエイト」しているのではないか、と思えるのだ。

私は、そんな感想文の一回性を大切にしていきたいと思っている。

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