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週報 Vol.4 スペース(余白)をつくる

みなさん、こんにちは。

先日は地域のおばあちゃん、おじいちゃんたち(大半が70代!)がやっているビーチボールバレーに参加してきました。2ヶ月ほど前から混ざり始めて、想像以上に楽しくて毎週バレーの日が来るとそれだけでウキウキしています(笑)

参加し始めた頃は体育館へ向かう時間帯の空がとっても幻想的で毎回空を見上げながら歩いていたのですが、昨日はだいぶ暗くなっていて、段々と日が短くなっていくことを実感できて、静かな感動が胸に広がっていました。


では、少しずつ本題へ。
僕は現在、業務委託の仕事を3つやらせていただいているのですが、ちょっと忙しくなりすぎて息が詰まる瞬間を何度か迎えていました。


どの仕事も、おもしろいことを生み出していけそう、起こしていけそう、と思って始めていることは間違いない。それでも、頭や身体、心から余白がなくなっていくと、発想や情熱がなかなか湧きづらくなって行き詰ってくる、そんな体感があります。


逆に、空間的、時間的、体力的、精神的、いろんな意味でスペースを自分に与えてあげることを想像したら、身体全体がすごくワクワクしてくることも感じます。

頭で理解する以上に、身体がスペースを求めている感覚が強くなっていて、スペースを自分に与えてあげることができるのは自分しかいない、ということも痛感しているので、最近は手放せるものを手放すことを少しずつ始めました。

もちろんそれには「やらなくて大丈夫かな」「本当はもっと進められたかも」という恐れを乗り越える必要があって、それは簡単にはいかない過程だと感じます。

でも、自分で自分に許可を出してあげることができたら、すごく喜んで生き生きしてくる自分の姿が想像できるから、意志をもって取り組みたい、と思って日々生きているなあという感じ。


そういえば、森も適度に間伐をしてあげないと地上に光が入らなくなって森全体が弱っていくと聞いたことがあるなあと。

手の入らない森は数十年で一気にたくさん木が倒れたりして、一度衰退したあとまた若木が大きくなっていくらしい。

何をもって、どの時間軸で切り取って「弱い」とか「衰退」というかは捉え方次第なのかなとは思うけど、いずれにしても、ある程度スペースがないと、次の時代を担う若い木に栄養が回らなくなる、というのは原理としてあるとするなら、今の自分の状態は間伐が全然できていない森みたいだなあと。

呼吸がしづらいような、息が詰まるような感覚を時々感じるのも、かなり近しい部分があるのかもしれません。


そして、こんな状況が起こっている背景には、自分の内側にそうさせている何かがあるということはよくわかっていたけど、それが何かはわかっていませんでした。

仕事をしたり生活を営みながら、ずっと頭の片隅でそれを考えていて、ちょうど昨日、こういう状況を引き起こしている自分のメンタルモデル(思考とそこから起こす行動のクセ)がかなり紐解けた感触がありました。

それについても書きたいことはたくさんありますが、今日はこれくらいで。

読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。
今週もよい時間になりますように!


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きり/黒澤季理
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