さとのば大学講義の定点観測~4月編~
さとのばの講義が始まってからちょうど一ヵ月が経過した。
人と話していて、さとのばの話題になった時に決まって聞かれる質問がある。
「講義ではどんなことを学ぶの?」
一ヵ月しか経っていないから、当たり前と言われればそうなのかもしれないが、受講し始めてもうまく説明ができない。
あるいは、あの場でどんなことを感じ、学びとして持ち帰るかは、人それぞれだろうなということだけがよくわかったと言えるかもしれない。
だから、どんなことを講義の時間から得ているのか、どんな価値や意味を見出しているのか、僕個人の視点から思うことを書き溜めていくことにする。
これは、僕自身の学びの整理と振り返り。
でも同時に、さとのばを受講するか検討中の人たちの参考情報になったり、学びが好きなすべての人たちの栄養になってほしい。
そんな願いを込めながら、書いていきます。
内省の時間
2021年4月の僕にとって、さとのばの講義は内省の時間だったと言える。
半分狙いをもち、半分流れに身をまかせていたところ、4月は行動しまくる月になっていた。
3つのプロジェクトへの参画。勉強会への参加。読書会の開催。原付旅。引っ越し。日々の家事。20人以上の友人・知人との電話。
これらに追加して、さとのばの講義。
動く期間だと割り切ってはいたものの、ゆっくり考える時間が足りていなかった。
そういう背景もあり、僕にとって授業は一旦立ち止まって振り返りをする時間になっていて、とても助かっていた。
講師の方たち、LA(ラーニング・アシスタント)、他の受講生たちから、様々な視座や角度からの問いをもらえる。
もやもやしていることをちゃんと聞いてもらえる。何に違和感を覚えているのか自分でもわかっていなくても、丁寧に向き合ってもらえる。
このプロセスをきちんと踏めることで、次に向かうべき方向性と具体的な行動が見極められる。
自分のカラダとアタマはどう頑張ってもひとつしかない。
目に入ったものすべてにがむしゃらに取り組むことは否定しないが、やはり限られた時間と愛力を何にどれくらいの割合で配分するのか、僕は考えたい。
そういう意味で、さとのばの講義は贅沢すぎる時間だった。
「学費の払いがいを今日も感じることができました。」
直近の講義のチェックアウトでこう書いていたくらい。
余談 -お金への意識-
学費に見合うかそれ以上の価値を持ち帰れているか?という視点は、小学生の頃に身につけさせてもらったことを思い出す。
4~6年生の時に通っていたサッカースクールが、月謝制ではなく1回ごとの支払いだった。毎度親からお金をもらい、練習をして、終わった後にコーチに自分で手渡しする。
「今日の練習で1000円分うまくなった?」
直接聞かれることもあるし、そうでなくとも自然と考えるような仕組みだった。
加えて、僕の場合は家庭でも、お金を出してくれている父親にサッカーノートを提出する義務があった。しかも、ちゃんとした事細かいフィードバックが返ってくる。「5点取れた」と書いても褒められないが、「ゴールを必ず最初に見ること意識していたから5点取れた」と書くと褒められたり。優れた結果ではなく、意図をもってチャレンジすることが褒められる環境だった。
講義チェックアウトからの抜粋
さとのばでは、毎回最後15分くらいを使ってその日の振り返りとその共有をしていて、これをチェックアウトと呼んでいる。
その中から、いくつか抜粋してみようと思う。
(以下のサイトから、全部の授業のチェックアウトが読めるので、興味のある方はぜひご覧ください。僕だけでなく、他の受講生や講師も書いています。)
https://tomotsuku.cotolike.jp/circle/28
①内省がぐわーっと進んだ日
今日は自分のことにだいぶ集中していたので、他の人がどうかんがえているんだろう?というところまでは手が回っていない。今は一旦自分のことに専念して書いていたいが、それがある程度まとまったり落ち着いてきたら、他の人にやつにじっくり向き合ってみることもしようと思う。
学びのDIY化については、本当に全人類取り組んだ方が良い(たぶん)。
②自分の正直な気持ちを明かしたら、思わぬ話につながった日
インタビューの振り返りで、厳しめの敢えて言うならフィードバックお願いして本当に良かった。のぶさんには時々言ってもらっていたことだったから、自分の中で考えて納得しようとかやっぱりこう思うとか、いろいろあったが、今日改めてそこについてさらに別の人の視点も交えて対話できたことで、理解が深まった気がする。
のぶさんがそう言った背景にある理由みたいなものも、丁寧に順を追って説明してくれたし、僕は自分の思考の足跡も話せて、その上でどんなことが考えられるだろう?みたいなとこへ行けたのが本当にありがたかった。
あり方というところにこだわってきたし、こだわっていきたいと思っているから今後もこういうのやりたい。
③本音がだだもれな日
堂々と語れる偏愛を持ってる人にあこがれている自分がいるなあ、きっと。きらきらしてみえる感じ。
「将来の夢」がどーんとあってそこへ一心に進み続ける人にあこがれる、うらやましい、のと似ている。
別にそうじゃなくていいねーーって思っているけど、それがある人のことはやっぱりうらやましくなる。
④チェックアウトを書きながら、葛藤が生まれていた日
反省点は、「なぜ」のベクトルの話になるまで、この場への集中度が60-70%くらいだったこと。
どうしても自分はなんとなくそれわかっていると思ってしまうことで、新たに気づけたはずのことも見逃してしまうと思うので、もったいないなと。
とはいえ、自分の頭と体は1個ずつしかないので、より多くの気づきが得られそうな環境に身を置けているか?という問いは絶対持っておくべきで、「与えられた環境でフルパワー」が必ず正しいかということも考えるべきだなと。
映画を20分までみたら最後までみないともったいないと感じてしまう人間の認知バイアスの話とか絡めて考えると、さとのばの講義も、ちょっと気まずさあるけど途中で抜ける日があってもいいかな?とか、考えたい。
一方、学生の絶対数が少ないのでこの場を構成しているひとりとしての責任感もあり、どうしたもんかと考え中です。
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