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「あなたはなぜ演奏しているのか?」に答えられるか

人前で演奏するプレイヤーにとって、楽器演奏という行為が純粋に目的化している(それ自体がゴールになっている)ことはあり得ない。

「楽器を弾ければ、あとは何も要らない」という人は、本来人前で演奏する必要はないからである。本当にそうなら、家で一人で弾いていれば満たされるはずだ。

自分の演奏は何のための手段なのか、演奏の目的は何なのか。

演奏会ごと、あるいは、演奏活動全体を通じて、表現者はこの問いに答えられなければならないと思うのだ。


①表現したい「パフォーマンス」があり、演奏はその一要素でしかないパターン

パフォーマンスパッケージがあって、演奏はその中のいちコンテンツでしかないというパターン。

パフォーマンスには、ショー的なものだけでなく、世界観的なものなど色々含む。

度々引き合いに出すが、エア演奏パフォーマンスは極致の一つだと思っている。(そして、プレイヤーのやりたいこと、かつ、お客さんの見たいものになっていれば、それでよいと思っている)

生演奏の付加的価値に重きを置いたパターンと言える。(過去記事ご参照、ぜひ)

②表現したい「音楽」が明確にあるパターン

専門的な学習や修行を重ねた人に多く、演奏の本質的価値に重きを置いたパターン。

広い意味で捉えると、「今はこういう音楽がやりたい」があればOK。
狭義で捉えると解像度の低いものは含まないので、実はごく一部の人にしか当てはまらないのかもしれない。

トラディショナルなジャンルを追求する人、実験的な電子音楽を奏でる人などなど、色んな人がいる。

僕は特に狭義の人たちを心底尊敬するので、①に比べてかなりニッチな世界だという自覚は当然必要だが、みんなどうにか続けていけることを願う。

表現者は①と②の狭間で苦悩する

たくさんの人に届けるには①の要素が必要。でも、②も譲れない。となると葛藤が生まれる。

基本的に、①のパターンでない限り、楽器演奏がエンターテイメントとしてスケールすることはない時代になったと感じている。

情報が溢れてオンライン化が進む中で、時間と空間を拘束する演奏会はある意味時代に逆行している

生演奏の価値は薄れ、演奏や音楽を専門的に突き詰めると大衆性からは乖離し、ついてこられる人は限られる。
一般的な聞き手からすると、繊細な発音や深い拍の取り方などは正直どうでもいいこと。

①を突き詰めると、自称音楽通にとっては「シャバい音楽」になってくるが、そもそも描きたい表現や届けたい相手が違うので、良し悪しの議論は不可能であることには留意したい。

「何を表現し、共有したいのか?」という問い

冒頭の問いでもある「演奏の目的」は、「何を表現し、共有したいのか?」という問いだと言える。

①と②に共通するのは、「自分の好きな表現を共有したい」という点である。
「演奏」の位置付けが異なるだけで、根本的には同じことをやろうとしている。

演奏者は「演奏」できてしまうがゆえに、演奏というHowの呪縛から抜け出せないことが多い。一度Whyに立ち返って考えてみたら、何か見つかるのではないかと思う。

必要な能力・経験があったら、リスキリングする時代なんだろう。

③「人前で演奏する」こと自体が目的化するパターン

ちなみに、こういうパターンもある。自分も含めて、誰しもこのパターンを経過する瞬間があるんじゃないだろうか。

僕はアコーディオンを弾き始めた頃、インプット・アウトプットのプロセスを高速回転させることを目的にたくさん演奏機会を作っていた。

もちろん②の要素もあったが、あんまり③の要素が強いと発表会のようになるので、お客さんから対価をいただく場としては不適切。

そして何より、目的もないままただただ人前で演奏をやり続けるのは時間の無駄遣いにしかならない。

下請け意識の強い演奏家や、会場と共演者だけを取っ替え引っ替えしながら活動している人の中には、このパターンにハマっている人が実はいるのではないかと想像する。

当然初めから明確な目的を持っている人はいるはずないが、それでも活動を続けていく中で、目的の自問自答を繰り返さなければならないと思うのだ。

問いに向き合うとチャレンジ機会が生まれる

「何を表現し、共有したいのか?」という問いに向き合っていない人ほど、答えが見つからない人ほど、だんだん演奏活動をストップする印象がある。

そのときを迎えたら迎えたでよいのだが、「あぁ、自分のやりたいことはコレじゃないな」とわかるのが早いほど、表現したいことが明確になればなるほど、次のことにチャレンジする機会が生まれる。

もちろん演奏じゃないことへのチャレンジにシフトすることもありうる。その人が次の生き方を選択したにすぎない。

演奏の価値が変化し、演奏会自体が時代に逆行する行為となった今だからこそ、何のために演奏するのかをもんもんと考え続けなければならないのではないだろうか。


お わ り

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