常識人より、自遊人
「いい加減」というのは仏教的には「ちょうど良い加減、かたよらず中道を歩む」という意味。
大概の方は、小さなころから「真面目に、きっちりと生きて、人に迷惑をかけないように」と教育されてきています。模範的な常識人、言い換えると善人を目指しているのでしょうけど、これでは、人の目を気にし過ぎて窮屈になり、ストレスが溜まります。
そこで今回は、常識人とは対極にある「面白半分にシャレで生きている幸せな人(彼らを「自遊人」と呼ぶことにしました)の生態に触れていただきましょう。従来の道徳的な生き方が、いい塩梅に中和され、人生を謳歌するきっかけになれば一興かと。
自遊人の特徴を列挙します。…
・何ごとも面白がれる。たとえ問題が降りかかってきても「困った」とは言わないで「面白くなってきたぞ」と鷹揚に構えている。
・決して思慮深くはない。計画性もない。その時々に湧いてきた直感(本音)、「これいいな!」というヒラメキ、「何となくこっちかな?」という感覚に従っている。何にでも手を出し夢中になるが、すぐに飽きて次にいく。
・実験的に生きている。「こうしたい」という願望を成就させることよりも、「こうしたら、どうなるんだろう?」という好奇心が行動の源泉。「好きなこと、したいこと」をやっているから、結果にはこだわりがない。成功とか失敗という概念も希薄である。
・使命感や正義感、責任感、義務感、理想や目標、主義信条なども微々たるもの。信念や一貫性、アイデンティティやプライドも持ち合わせていないので、世間からは「一風変わった人」に見られる…
いかがでしょうか。自遊人のイメージが湧いてきましたか。
「自遊人」とは、この世という広大な広場で、自由に心を遊ばせている人たちです。
「面白半分」だとか「遊び気分」なんて言うと、軽薄だと叱られそうですが、子どものころを思い出してください。「遊び」にこそ我を忘れて真剣に取り組んだのではないですか。そして、そのときが、人生で一番幸せだったのではないでしょうか。
泣いても笑っても、心配してもしなくても、人生の残りは、たかだか数十年。禅の老師の本に「人の一生は、いろんなことがあって終わる。ただそれだけである」という一節がありました。
そのとおりだと思います。「じゃあ、いっちょ面白半分に楽しんでやるか!」という軽い気持ちで、いろんなことにチャレンジしていきませんか。
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