許す理由が見つからないのに

 不愉快なことをされたとき、その人を「許す・許さない」というよりも、「その人は、その人」という感覚がいい。
 「許す」というと、その前段階として「裁き」すなわち、善悪の判断があるわけでしょう?。そういう価値判断が、ここ数年、薄れてきましたね。

 自己啓発や生き方に関する本には、「許しましょう。そのほうが何よりも自分が楽」というようなことが、よく書かれています。でも、人を許すって、努力や意志の力で、できるものなんでしょうかねぇ。
 「一生、恨んでやる~~~」というような、歯を食いしばった決心も、おどろおどろしくて感心しませんが、「許さなければいけない」と義務感に浸ってしまうと、それが心の負担となって、気分は下がります。
 
  許すのも疲れます。「なぜ、許すのか?」という理由が見つからないからでしょう。許せない自分の器の小ささが嫌だから楽になりたいという程度の理由はあるでしょうが、、、
 相手のことを許したいと、本気で思うことはあまりないだろうしね。だから。「許す・許さない」という思考は、はずしてしまうほうが楽。

 許せなくてもいいじゃないですか、聖人君子じゃないんだから!自分の感情を無理にコントロールしようとせず、心のおもむくままに過ごしたらいいですよ。

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