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『ベルファスト』は過去への郷愁と、明日への勇気をくれる

 ケネス・ブラナーの半自伝的な作品である本作は、北アイルランドの首都ベルファストの下町風景から始まる。
 簡素なテラスハウス(長屋式住居)、家事や買い物といった市井の暮らしを営む住民たち、そこここで飛び交う挨拶や軽口、集団で走り回る子どもたち。
 隣近所がみんな知り合いであることや、各戸のトイレが屋外に設けられていることなども相まって、時代設定は1969年ながら、むしろ50年代ぐらいの日本を感じさせる情景になっている(50年代の日本を見知っているわけではないけれど)。

 そんな明るい牧歌的な光景が、一発の爆発音を契機に一転。1960年生まれのブラナーの分身である9歳の少年バディが、宗派抗争によるテロと暴動の渦中に投げこまれる。
 この明から暗、日常から非日常への転換は圧巻だ。その衝撃度は『クワイエット・プレイス』第2作のオープニングにも比肩しようが、あちらがエイリアンの襲来を描いたSFだったのに対し、こちらは半世紀前に実際に起こり、今も多くの人々が記憶する事実。
 ブラナーは少年の目に映った暴徒や破壊行為、耳に入った爆音や叫び声をビビッドにとらえ、観客を瞬く間に物語の世界に引きずりこむ。

 いわゆる北アイルランド抗争がカトリック系住民とプロテスタント系住民の衝突であったことは、ある程度の世代以上の人間なら誰もが知るとおり。そしてバディが巻き込まれた暴動は「プロテスタント系の多い地区に住むカトリック系を狙ったもの」であったことがすぐに説明される。
 注目すべきは、バディの一家がプロテスタントであることだろう。ホロコーストにせよ、ヒロシマにせよ、この種の悲劇を描いた創作作品には、「弱者/被害者」の視点から「強者/加害者」を告発するものが多くなりがち。
 一方、本作の場合は、一般には「強者」と見なされるプロテスタント系の、しかし「加害者」にはなるまいとする良識派の心情に丁寧に寄り添うことで、人と人とが争うこと自体の愚かさが、公正な視点から浮き彫りにされた。

 もっと言うなら「宗教なんぞというものを信じることの愚かさが」と言ってもいいかもしれないね。もしかするとブラナーは、「宗教は害悪だ」と喝破するリチャード・ドーキンスに同調しているのかもしれない。
 年長の従姉妹から「パトリックやショーンという名前の男はカトリックだから気をつけな」と言われたバディが、「サムはどっちの宗派にもいるけど、どうしたらいいの?」と返すあたりの珍問答に、そのことが表れているような。

 ちなみにこの従姉妹はプロパガンダに乗せられやすく、武闘派プロテスタント集団の尻馬に乗って、バディに暴動や略奪の片棒を担がせたりする。
 こう書くとケン・ローチの映画風の一大事に聞こえちゃうけど、スクリーンで実際に展開されるのは、愉快で滋味ある場面のオンパレードだ。
 バディの祖父の独特のユーモアセンスにも抱腹絶倒。ブラナーのバランス感覚とコメディ・センスの洒脱さに脱帽するしかない。
 日本式に言えば私もブラナーと同学年なので、『恐竜100万年』のラクエル・ウェルチ、アポロ11号の月面着陸、テレビで流れる「サンダーバード」といった当時の硬軟の風俗に(距離感は少し遠いものの)郷愁を誘われた。

 そんな「あるある」感とは裏腹ながら、狭い自国にいたのではうかがい知れない「他者」の視点や文化に触れられることが、外国映画を観る(そして子どもたちに観せる)意義の1つだ。
 たとえば私を含めた平均的な日本人は、「北アイルランドは英国の一部」だと単純に思っていますよね。ところが、そこに住むバディのお母さんは、「ロンドンなんかに移住したら、自分たちは蔑視され、訛りをバカにされる」と思ってる。
 つまり彼女はアイルランド人としての確固たるアイデンティティを持っているわけですよ。英国籍の、それもプロテスタントなのに! へえ、そうなんだ。
 もう1つ別の例を挙げると、劇中でクソまずいお菓子の代表みたいな言われ方をしている「ターキッシュ・デライト」は、「ナルニア国」シリーズの次男が仲間を裏切ってでも食べたかったお菓子だ。
 同書を読んだ子どもたちは、さぞや美味しいものと思っていることだろうけど、案外そうでもないみたいですね。

 バディを取り巻く愛情深い祖父母(キアラン・ハインズとジュディ・デンチ)や両親(ジェイミー・ドーナンとカトリオーナ・バルフ)のキャラ造形も文句なし。
 両親はそれぞれに欠点や弱点も抱えた、決して完璧ではない人物のようだけど、隣人に不当な敵意を向けないとか、子どもが悪いことをしたら叱りつけるといった、人間として一番大切なことはちゃんとわきまえた人たちだから、観客としても安心してバディを任せておける。
 すでに声変わりしたお兄ちゃんも、不穏な社会情勢や家庭内のすれ違いに(9歳のバディ以上の)危機感を感じつつ、できる範囲で幼い弟を守ろうとする。

 ちなみにハインズとドーナンは、ブラナーと同じくベルファスト出身。バルフもダブリン生まれのアイリッシュだ。キャスティングも地元や当時の空気感を知る人重視だったのがうかがえる。
 デンチだけはイングランドのヨーク生まれだが、母親はダブリン出身だった模様。エンディング近くで、シワだらけの愛玩犬のような顔をアップにされたデンチが、バディ一家に旅立ちを促すカットは忘れがたい。

 両親からロンドンに引っ越そうと言われて、「絶対ベルファストから離れたくない!」と泣いたバディだったが、そのモデルたるブラナーは、長じて自分の人生やキャリアを切り拓くためにロンドンに移った。「住み慣れた土地を離れたくない」なんて、ものを知らない子どもの感傷でしかなかったのだ。
 福島原発の避難者たちだって、愚かなメディアや地元自治体が「住み慣れた土地」の呪縛を吹きこまなければ、とっとと新たな土地で新たな生活を始め、新たな幸せをつかんでいるだろうにね。
 私事だが、うちの姪っ子もこの春、大学を卒業し、親元を離れていった。なぜか地元愛の強い子だったので、一生クソみたいな田舎町に埋もれてしまうのではないかと、伯父として危惧していたが、幸いなことに杞憂だった様子だ。世界は可能性に満ちている。彼女の前途に幸多からんことを。

ベルファスト
BELFAST
(2021年、英、字幕:牧野琴子)


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