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静 霧一 『バレンタインなんて大嫌いだ、ばか』

『バレンタインなんて大嫌いだ、ばか』

 もう私は何度、この言葉を口ずさんだろうか。
 煌びやかな夜の街並みは、バレンタインに合わせて、リボンの装飾を身に纏い、赤色に彩られている。
 その色彩は、私に眩暈をようなものを覚え、目を合わせないようにと、目線を下に向けて歩いた。

「ただいまバレンタイン限定商品、数量限定で販売しております。お立ち寄りください」

 女性のアナウンスがいたるところで呼びかけをしている。
 まるで、再生と巻き戻しを繰り返すテープレコーダーのようにも思えた。
 誰かに吹き込まれたであろう台詞を口ずさむだけのそのアナウンスに、私は少しばかりの悲しみを覚えた。

 バレンタインを思い返してみると、形は違えど、ほろ苦い記憶ばかりであった。

 初めてのバレンタインは小学校5年生の時だった。
 当時、私にとっての初恋の男の子のしゅんくんに手作りのチョコケーキを渡したのだ。

 たまたま、のんびりとみていたテレビ番組の間に流れた赤いパッケージのチョコレートのCMを見た途端、「私も手作りをしよう」と私の身体にビビビと電気が走ったのである。
 当時人気であった女優が3人、色とりどりのボウルにチョコレートを溶かし、それぞれがハートの形を象り、自分の想い人へと渡すそれが、私の瞳にはまるで少女漫画のヒロインのように映ったのだ。
 でもチョコレートケーキの作り方なんて知りもしないものだから、お母さんと一緒に台所に立って、指先をチョコまみれにしたのを未だに覚えている。

 結局、私は少女漫画のヒロインにはなれず、そのチョコに込めた想いもどこへ行ったのかはわからない。
 きっとトイレの水と一緒に、下水道に流れてしまったのだろう。
 今となっては、そんな初恋のしゅんくんの顔なんて思い出せないが、母親が指先についたチョコレートを舐めて「美味しいね」って言ったことだけは鮮明に覚えている。

 これが私の初めてのバレンタインの思い出であった。
 自分で食べるチョコは甘いのに、人にあげるチョコはほろ苦い。
 私は苦いものが苦手なのだ。
 けども、なぜだかその苦さの虜になってしまったのか、初めてチョコレートを作った日から、毎年のように2月14日になればチョコレートを用意した。

 そんな私にも一つの壁が現れた。
 それが義理チョコというものだ。
 それは高校1年生の時のことであった。

 高校生ともなれば、男子生徒と関わる機会も多くなる。
 特に、私は陸上部にマネージャーとして入部していたために、どうしても関わらざるを得なかった。
 冬の寒さが肌を突き刺すというのに、男どもの生ぬるい熱のこもった視線がどうも紛らわしい2月のこと。
 この時期になると、いくら抵抗しようともチョコレートの話題から逃げることはできず、結局、複数人いるマネージャー間で、男子部員にチョコレートを用意しようという話になった。

 高校の近くにある公民館の調理室を借りると、マネージャー各々がエプロンを巻き、先輩の「作るぞ!」という掛け声のもと、1日かけて近くのスーパーで赤いパッケージのチョコレートを大量の義理チョコにする魔法をかけ続けた。
 きゃっきゃとはしゃぎながら、チョコレートを作ったあの時の感情は、母と台所に立ったそれとは違うものを私は感じていた。
 あの眩しすぎる初々しいページの一コマは、私の青春を代表するものだ。

 さて、チョコレートを大量に生産するにあたり、あまりめんどくさいことはしたくないというのがみんなの同意見であった。
 色々考えた挙句、型抜きを3種類ぐらい用意して、それぞれ1種類ずつ袋の中に詰めれるぐらいのぐらいのチョコレートを用意しようということになった。

 板チョコを細かく砕き、お湯と水を使って湯煎して、丁寧にテンパリングを行う。
 それが終わったら、そのチョコレートをプラスチックの型に流し込むのだが、私の心にふと「モヤッ」とした感情が芽生えた。

 プラスチックの型は、星型、半円型、ハート型の3種類である。
 みんながこぞってハート形に手を伸ばしたが、私だけはそれが嫌で仕方なかった。
「義理」であるのだから、そこに特別な想いなど何一つこめていない。
 それであるはずなのに、わざわざハートの型を選ぶ意味が全く持って理解できなかったのだ。

 好きでもない人にハートの絵文字をつけるだろか?
 私はその答えにイエスと答えることはできない。
 それほどまでにハートというものについて高貴すぎるほどの信仰心なるものを、いつの間にか私は抱いていた。
 どうやら私は恋愛至上主義者であるということを、この時初めて知った。

 大学生になり、私はチョコレートを溶かすことは無くなった。
 私が今までバレンタインでチョコレートを溶かし続けていたのは、その選択肢しか選べないほどにお金がなかったからだ。

 大学1年生時、私に初めての彼氏ができた。
 一つ上の先輩で、たまたま入ったサークルの人であった。

 付き合って3ヶ月が経ち、とうとう2月が到来した。
 私は恥ずかしいものは渡せないと、都内のデパ地下のスイーツ売り場へと立ち寄る。
 売り場はたくさんの女性客でにぎわい、チョコレートの甘い匂いがふらりと香っていた。
 横文字の店名が並ぶが、デパ地下でチョコレートを買うなど初めてのことだったので、一人あたふたしながら売り場を回った。

 ふと、私の足が止まる。

「綺麗……」
 私はショーケースに宝石のように飾られたチョコレートを見ながら呟いた。

 ピンク色に装飾された箱に入った丸い形のチョコレートにはそれぞれ色とりどりの模様が施されていた。
 絵画のような花畑が描かれたチョコレート、彫刻のようにナッツで彩られたチョコレート、ガラス細工のように細やかな線画の施されているチョコレート。
 その全てが一つの美しき箱に納められている様子は、まるで小さな美術館のようであった。

 私はその小さな美術館を片手に、彼の家まで鼻歌を歌いながらスキップした。
 ピンポンと彼の住むアパートのチャイムを鳴らすと、そこから彼の顔がひょっこりと出てきて、「入っていいよ」と笑顔を向けた。
 大学生の一人暮らしの男の部屋というのは、まぁなんというか、ぐしゃっとしている。
 水垢のついたシンク、皺のついたTシャツ、乱雑に置かれたゲームカセット。

 恋の盲目というのは恐ろしいもので、今となっては生理的に考えられないが、当時の私はそれすらも愛おしいと思ってしまった。

 ワンルームの小さな部屋に、小さな丸い折り畳みのテーブルを出し、お洒落なベルアメールの紙袋を丁寧に置く。
 そして誇らしげに、その紙袋の中からバレンタインのチョコレートを取り出した。
 箱についたリボンを解き、ゆっくりと開封する。

「すげえな」
 彼は一言呟いた。
 それもそうだ、私はその一言を聞くために、わざわざ美術品のようなチョコレートを買ったのだから。
 彼はチョコレートの包み紙をびりっと破き、そしてそれを愛でることなく、口の中に放り込み、そしてバリバリと音を立てながらそれを堪能した。

 それは、私の恋が冷めた瞬間であった。
 確かにチョコレートは食べるためにあるわけだし、私は彼に食べてほしくてそれをあげた。
 だけれども、もっとゆっくり味わうとか、珈琲と一緒に食べて、一枚一枚の美しさについて語り合うとか、そういう余韻のようなものが欲しかったのだ。
 私の中の恋心に、パキンという罅が入った。

 次の日、サークル活動で一緒になったが、彼はチョコレートの味などとうに忘れているようで、感謝の言葉など聞くことが出来なかった。
「別れよう」
 私は彼にそう言い残し、サークルを辞めた。

 それから時が経ち、私は社会人となった。
 毎日の仕事に追われ、カレンダーがお札を数えるように、捲られていく。
 学生の時は、やれ8月だ、やれ12月だとイベントが盛りだくさんであったが、社会人になった今では、毎月仕事一色となっており、月感覚というのも薄れ始めてきた。
 当然、2月なんてものは風のように過ぎ去ってく。

 そんな社会人生活も5年を迎えた。
 その間に数人、お付き合いをした男性はいたが、お互いの仕事のせいもあって長続きすることはなかった。
 もうそろそろ結婚も考えなきゃいけない年齢だが、どうもそれには踏み切れない。
 結婚を考えると、どうも相手の容姿だったりスペックだったり性格だったりを考えてしまって、まるでゲームの個体値精査をしている気分になる。
 ゲームのように人生はリセット出来ないもんだから、より一層、私は慎重で臆病になってしまった。

 5年目ともなると、どうも仕事を割り当てられる量が多くなる。
 仕事がそんなに好きでもない私にとっては苦痛でしかないが、それでもスキルも何もない私にとっては生きていくために必要な苦痛であった。
 繁忙期になると、休憩も取れず、残業もする。
 ましてや一人休もうもんなら、その穴から噴き出た仕事さえを受け持つことになり、頭の中がパニック状態になってしまう有様であった。

 私が15分という短いお昼休憩から帰って来た時のこと、ふと机の上に、見覚えのない付箋が貼ってあるのに気づいた。

「お疲れ様です。お忙しそうですね。冷蔵庫にカフェオレとデザートがあるので、時間があるときに食べてください」

 丁寧とは言い難い字であった。
 それもそのはず、そのメッセージをくれた張本人である営業の月川が、忙しい真っ只中にいたからだ。
 きっと、メッセージを書いている途中に常務にでも呼ばれて、殴り書きになってしまったのだろ。

 彼とは席が隣というわけではないが、同じ島に所属している。
 お礼を言わなきゃと思った直後に、私の机に電話が鳴り、仕事が急遽舞い込んだ。
 その間に、彼は「行ってきます」と営業先へと出て行ってしまった。

 あれから、彼のことが頭から離れなかった。
 私の悪い癖で、なんでこんなことしてくれたんだろうという疑念ばかりが頭に浮かぶ。
 素直に「ありがとう」と言えればこんなに悩む必要もないが、大人になればなるほど素直になるということがとにかく難しくて、後でいいやとそのお礼を後回しにしてしまった。

 お礼というのは鮮度が無くなれなば無くなるほどに、だんだんと罪悪感へと変わっていくものだと言うのは良く知っている。
 私は営業フロアで彼の姿を見るたびに、ちくりと心の奥が痛んだ。
「今更お礼なんて」と私は罪悪感を正当化し、前へ出ようとする足を止めてしまった。

 特段、彼がその後何かをすることはなかった。
 何もなかったような自信のある彼の振る舞いに、私はだんだんと彼を目で追うようになっていた。

 決定打となったのが、ある食堂での出来事である。
「月川さんから"頑張れ"ってカフェオレ貰っちゃった。余裕ある人っていいよね。ねぇ、月川さんの連絡先知ってる?」
 それは自分よりも年下の女性同士の会話であった。

 私はその会話を聞いて「モヤッ」と心の中で嫉妬が渦を巻いた。
 誰にでも優しくする男なのかと彼を反論したが、誰にも優しく出来ない私自身を見て、私はそんなことを言える人間ではないと落ち込んだ。
 その日に飲んだ珈琲の味が泥水に感じられるほどに、私は嫉妬してしまったのだ。

 私はいつの間にか彼を好きになてしまったようであった。
 ちなみにいうが、彼は年下である。
 年上である私が、年下の彼にこんなにも好きだという感情を抱いてしまうのは恥ずかしいことだと分かっている。
 それでも結婚という打算的な愛を意識しない、純粋な恋心に私は惹かれた。

 仕事上、事務的な話はするが、込み入った話が出来ていないのが現状である。
 勇気のない私は、いつも口の中に言葉を溜めては、それは紡ぐことが出来ずに飲み込んでしまう。
 そんな自分に呆れて、ため息が出てしまった。

 12月と1月の繁忙期が終わり、2月がやって来た。
 今年の2月は私にとって特別だ。
 彼に彼女がいないことはとっくに知っている。
 だからこそ彼を狙う女性は数多くいた。
 きっと年上なのは私だけなのだろう。

 私はデパ地下の中に殺到する女性客をかき分け、前へと進んでいく。
 彼は私の買うチョコレートで喜んでくれるだろうか。
 彼は私の好意を嫌わないだろうか。
 彼は私に笑顔をくれるだろうか。
 そんな不安に押しつぶされそうになりながらも、私はチョコレートを買った。

 紙袋をぶら下げながら、駅のホームで電車を待つ。
 夜空を眺めると、そこには白く美しい砂糖のような星が、点々と瞬いていた。
 きっと、最後の恋愛になるかもしれない。
 私は不安を白い息に混ぜ、夜空に向かった吐いた。

『バレンタインなんて大嫌いだ、ばか』
 私はぎゅっとチョコレートの入った紙袋を握った。

おわり。



あとがき(お店紹介)

【ベルアメール】
チョコレートは美しい美術品のようです。

【デメル】
貴族のような品位あるチョコレートに惚れ惚れします。

どちらも池袋で販売しておりますので、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

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静 霧一/小説
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