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才能なんて何一つない僕が、ライブステージに立ったあの日。

才能なんてもの、僕にはなかった。

頭もそんなに良くはないし、運動も出来ない。
人前には出ることも出来なければ、根暗であった。
何をやっても上手くはいかない。それが僕だった。

苦い思い出なら、数えられないほど持っている。
そんな僕が、ライブステージに立ったあの日までを書いていく。
少しでも、今頑張っている人の力になれれば、それだけで僕は嬉しい。

①学生時代いじめの経験

学生時代、それはもうとことんと言っていいほどイジメられた。
もうイジメとからかいの境界線がわからないので、経験の一部を語っていく。

①恋愛編Lv.1
僕にはずっと好きな子がいた。思い切って告白をしてみたが見事に惨敗。
そして翌日には、それが学校中で言いふらされ、見知らぬ人から馬鹿にされまくる。

②趣味編Lv.2
自分がノートに落書きのように書いていた小説のノートを机から引っ張だされ、バラまかれる。とにかくキモイと散々に言われました。

③授業編Lv.3
国語の授業中に「豚」という単語が出てきて、「お前のことじゃん」と、クラス中から笑われものにされる。
授業中に、僕に向けてゴミが飛ぶのが当たり前。
とにかく泣くのを堪えていました。

④日常編Lv.4
女の子からの悪口は日常茶飯事。
毎日のように、目が腐るだの、キモいだの、デブだのと、死ねなど言われる。もはや、聞き慣れすぎてもはや雑音と化す。

⑤部活編Lv.5
バドミントンを小学生からやっていたが、そ先輩からは案の定、悪口も言われたし、手も出されたこともあった。
カーボン製のラケットのフレームで思い切り頭を叩きつけられ流血し、気に食わないという理由だけで胸倉を掴まれ殴られもした。

正直なとこ、今でもトラウマである。
そんな生き地獄にいた僕は、僕だけの居場所を必死に探した。

②ニコニコ動画という居場所

幸い、僕の家には自由に使えるパソコンがあり、僕はその中の世界にどっぷりとはまった。
僕が中学生の頃、ニコニコ動画が最盛期を迎えていた。
当然のように、僕は何時間もその動画を見続ける。

そしてそのうち、動画の向こう側に憧れを抱くようになった。

父がたまたま趣味としてギターをやっていたため、僕はいらなくなったマイクとコンデンサーを借りて、それをパソコンへと繋いだ。

録音の仕方もわからず、必死になって調べた。
そして、無料の録音ソフト「SoundEngine」をインストールし、録音を始めた。
最初の声は今でも覚えている。それはそれは聞くに堪えないものだった。
昔音痴だと罵られたことはあったが、実際に聞くと、確かにひどいものだった。家族からも馬鹿にされた。

僕は、それで諦めるわけでもなく、「YUBAメソッド」という一冊の本を買い、歌い方についてを必死に読み込み、勉強した。

本は付箋だらけになり、全ての文章がマーカーで汚れ始める。
歌った時間とダメだったところを毎日のように日記にし、ボロボロになったノートが積みあがっていく。
そんなことが1年半続いた日、ようやく普通に人が聞けるぐらいには成長することが出来た。
再生数は少なかったものの、歌ったものをニコニコ動画にも投稿をした。

そして、僕にはやりたいことが芽生えていた。
それは、ライブステージに立ちたいというものだ。

人前にでれば緊張し、しどろもどろになって泣いてしまう。
それを馬鹿にされ、クラス中から笑われる。
そんなコンプレックスとトラウマを直したかった。
見返したかったのだ。
たった一つの、それだけの強い信念が僕の中にはあった。

だが一つ問題もあった。
そもそもライブステージに立つにはどうすればよいのだろうか。
音楽関係者との人脈など、何一つ持ち合わせていない。

Twitterに彷徨いながら、ライブの主催者を必死になって探す。
そのかいもあり、ライブ主催者と偶然つながりを持つことが出来た。
その主催者にデモ音源を送り、出演させてくださいと頼み込んだ。

念願叶い、僕はとうとうライブに出演することになった。

③初めてのライブステージ。お客は3人。

僕はここの思い出を忘れたことはない。
確か歌った曲は「Butterfly」だったと覚えている。
場所は新宿二丁目の地下ライブ劇場。

誰一人として、お客を呼ぶことが出来ず、僕の番にいたときの客席にはたった3人しかいなかったのだ。
しかも、それは別の出演者目当てのお客である。
出演者は他にもいて、僕は盛り上げることに徹した。

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※初めてのライブの写真

ライブは無事終えたが、僕の心にはモヤっとした感情が残っていた。
人前で歌うということは達成できたが、どうも僕の心が満たされることはなかったのだ。
果たして、お客のいないライブステージで歌うことが、僕の憧れた居場所だったのだろうか。

僕は、少しくたびれながら新宿を後にした。

④そして大舞台へ

そのライブ主催者の伝手を使い、様々な人脈が広がった。
そして、4度目のライブが決まる。
それは有名な歌い手が出演する200人キャパで行うライブであった。
僕はそれの前座として出演することが決まった。

前座であるため、お客を呼ぶノルマなどはなかったが、とにかく主役のために客席を盛り上げるという役目を任された。
僕にとってはそれでも大役である。

10分という時間であったが、僕はその時間に全力を込めた。
そんな僕にも、ちらほらと仲間が出来た。
出演までは、主催者とああだこうだと言い合いになったこともあったが、無事出演日を迎えることが出来た。

ライブ仲間もそのライブには数人来てくれた。
その中に、一人の女性がいた。
その人が、私の妻になる女性だ。

ライブは成功し、僕は150人という人前で歌うことが出来た。
たった一クラス30人の前でさえ、緊張して何もできずにいた人間が、堂々と歌えるようになったのは大きな成長だった。

決して僕は、音感もリズム感もないから、歌が上手いわけではない。
上手い人なんていくらでもいる。
そんな僕でもライブステージに立てたのは、たまたま僕の運が良かったからなのかもしれない。
それでもその運が僕に向いたのは、僕が居場所を求め続けたからなのかもしれない。

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⑤最後に

社会人となった今、僕はまた新たなステージで居場所を作ろうとしている。
その一つが「note」だ。
始めた頃に比べフォロワー様も増え始め、PV数やスキの数も増えるようになった。
こんな僕の趣味やら経験やらが、まさかこんなに読まれるようになるとは思ってもいなかった。

次の目標は、このnoteの世界から飛び出して、仲間と共に何かを創り上げていきたいと思っている。
それがどういう形になるかはわからないが、楽しくなるのは間違いないと、その可能性だけは感じている。

だが、それを実現するにはお金は必要だ。
そのために、本業でも稼いでいかなければいけない。
私は9月に新たな職場へと転職する。
これからはデジタルマーケターとして活躍していくつもりだ。

僕は最初から、才能なんてあるわけではなかった。
それでも、ここまで自分を成長させられたのは、自分の可能性を信じ続けたからこそなのかもしれない。
才能がない分、ほんのちょっぴり運が良かったというのもあるのかもしれない。

自分の居場所は誰かに与えられるものではない。
自分で求めるものだ。

それだけを忘れずに、前に突き進んでほしいと願っている。

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静 霧一

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静 霧一/小説
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