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静 霧一 『青いベランダの食卓』
淡く白い温かな光が、私の瞼の裏を照らす。
リビングの窓が少しばかり開いていて、そこから朝の柔らかな風が吹きこんでいた。
白いレースカーテンをふわりふわりと舞い、眩い光の向こう側では、ちゅんちゅんと雀の囀りが聞こえる。
寂しさで凍った昨夜が、朝陽の温かさによって嘘のように溶かされ、孤独で乾燥していた私の部屋が瑞々しくも感じた。
私の心は、もう少しこの優しい朝を、この柔らかな布団の中で感じていたかったのだが、生真面目な私の体は、平日の習慣を忘れられずにいるようで、夢への梯子を蹴り飛ばしてしまった。
布団をゆっくりとはがし、上体を起こして伸びをする。
5日間の多忙によって体中に巻き付いた鎖がパキンパキンと砕けていく。
すっかり目が覚めたので、布団から起きだし、私はカーテンを全開にした。
私にとって、一週間のうちに最も好きな光景であった。
それは自由が放たれ、私に白い翼を生やす瞬間でもある。
どこまでも続く空は、私の休日の始まりを告げる透き通った青色をしていた。
人間というのは不思議なもので、緊張とか不安がなくなると急に腹が減りだす。
私もその例外ではなく、ぐぅと腹の音が鳴った。
冷蔵庫を開けると、中には賞味期限を切らさまいと最低限のものしか入っておらず、あるものとすればパックの空いた卵が5つ、使いかけの厚切りベーコンが半分、チーズが3枚、そして賞味期限が明日の飲み切れない牛乳パックだけが鎮座している。
私は大きな欠伸で私の中に残留した眠気を、体の外へと絞り出し、朝食へと取り掛かった。
引き出しの中にしまってあった食パン袋を出し、そこから2枚の白い食パンを取り出すと、それを真っ白なお皿の上に乗せる。そのパンの上にはケチャップを薄く塗りつけた。
そして次に、そのパンの上に乗る具材を作るために、銀色のボウルと使い慣れたフライパンを用意する。
銀色のボウルの中に、2つの卵をぱかりと割ると、そこに牛乳を注ぎ込む。
菜箸で黄身を突き、白と黄色が程よくかき混ざったところで、塩と黒胡椒と、少しばかりの白砂糖、そして香りづけのバジルを一つまみ入れる。
白身がなくなるまでかき混ぜたら、よく熱したフライパンの上にそれをゆっくりと注ぎ込んだ。
じゅわっという音ともに、ぱちぱちと油を撥ねながら卵の焼けるいい香りがする。
強火の加熱を一気にとろ火にまで調整し、余熱だけでフライパンの上の半熟な卵をかき混ぜていった。
綺麗な円状に焼かれた卵をフライパンの上で器用に四角く折りたたんでいく。
卵の裏面に火が通ったところで、それを1枚のパンの上に乗せた。
フライパンを一度洗い、再び火つけ油を引くと、次はその上に厚く切ったベーコンを2枚乗っける。
こんがりと焼けるいい匂いが漂い、少し茶色い焦げ目が両面についたところでそれを先ほどの卵の上に乗っけた。
そしてそこにケチャップをかけ、チーズを2枚挟み込んで、もう1枚のパンで挟み込んだ。
私はここにもうひと手間加える。
ごそごそと食器棚の中から、ホットサンドプレス機を取り出すと、私は皿の上のサンドイッチをその中へ設置し、パチリと機械の電源を入れると、上の持ち手を下の持ち手まで下げた。
プレス機の温度はみるみる上がっていき、たちまちにパンの焼けるいい匂いが立ち込め、私ははやくはやくと無機質なプレス機を急かした。
けれどもプレス機はそんなことは微塵の気にもせず、ゆっくりとパンを丁寧に焼いていく。
私が待ちかねていると、パチンという音ともに温度の電源が消え、ようやくプレス機は焼き上がりを私に知らせた。
焼けたホットサンドを木のまな板に乗せ、耳をざっくざっくと包丁で切っていく。
切った耳は適当なさらに移し、綺麗に耳の取れたホットサンドを白いお皿の上に乗せた。
無造作に冷蔵庫の上置かれたカフェラテのインスタントスティックを箱の中から一本取り出し、それをマグカップの中に入れ、お湯を注ぐ。
コーヒーとミルクの香りが湯気となって立ち上り、それは優しく私の鼻をくすぐった。
たまには気持よく食事が食べたい気分になり、とふとカーテンの閉まったベランダを見つめた。
私は誘われるがままにその窓まで近づくと、クリーム色のカーテンをサッと開けた。
外からは太陽が燦々と部屋の中へと降り注ぎ、じめじめとした薄暗さを取り払うかのように部屋の中に温度がぽわぽわと上がったような気がした。
アパートの4階ということもあり、小さなベランダは今日もちょうどいい日当たりをしている。
私は物が押し込められた押し入れを開き、その中から水色のストライプ柄をしたレジャーシートと小さな折り畳みのテーブルを取り出し、ベランダに広げた。
小さなテーブルの上に、先ほどのホットサンドとお気に入りのマグカップを置き、私は窓の開閉口の小さな段に腰を下ろす。
「いただきます」と手を合わせると、私はホットサンドに手を伸ばし、それをがぶりと頬張った。
卵の甘みと、ベーコンの塩味と肉汁が混ざり合い、それをチーズが仲良く旨味を繋いでいる。
熱を帯びたチーズが、とろんとたわみながら伸びていき、私はそれを慌てて頬張った。
私は口の中に溢れ出す至福に、思わず笑顔がこぼれた。
もし、ここにピアノの旋律があるのならば、もっとお洒落な朝食になるんだろうなと妄想に耽る。
永遠とも覚えるその至福は私の食欲を助長させ、ホットサンドをあっという間に消化してしまった。
カフェオレをすすり、ちょうど満腹の一息をついていると、ちゅんちゅんという音ともにベランダに2匹の青い鳥が止まった。
どうも雀だと思っていた鳥の囀りは、この2匹のようであった。
ここらへんじゃ見ない綺麗な鳥だなと、思わず私は見惚れた。
その2匹は番のようで、お互いが鮮やかな青い羽を擦り合わせながら密着している。
私は思いついたかのように台所へと戻り、先ほど残していたホットサンドのパンの耳を手元まで持ってきた。
多分食べてくれるだろうなと思い、パンの耳を小さくちぎり、少し離れたところにポイっと放る。
すると、青い鳥は2匹ともそのパンの耳の元へと下り、可愛らしくちゅんちゅんと囀りながら、仲睦まじくそれを啄んでいた。
その愛らしさに、私はポイポイとパンの耳をちぎっては放り投げてみた。
ちょうど2本分をちぎり終わったところで、鳥の番は羽根を広げ、遠く白い雲の彼方へと羽ばたいていってしまった。
また静かな時間がベランダに訪れる。
時たま、涼しげな風がベランダへと吹き込み、それはバレリイナのワルツのように部屋の中を踊りながら、ふわりと消えていく。
ふいに、私はあの人の横顔を思い浮かべた。
この空の向こう、私の好きな人は一体何をしているのだろうか。
少しだけそわそわとした私は、スマホを開く。
『遊びにいきませんか?』なんて言えるほど、今の私にそんな勇気なんてない。
だから、せめてあの人と繋がりたいと思うこの気持ちだけは伝えたい。
『―――おはようございます。いい天気ですね』
たった一言、私は心臓を高鳴らせながらそう打ち込んだ。
鳥が羽ばたいていった青い空に目を向ける。
自分の淡い恋心をあの人に運んでくださいと青い鳥に願いながら、澄み渡る空の遠くを私はじっと見つめていた。
おわり。
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