まどろみ
夢を見ていた。
心地よい、なにかふんわりとした夢だった気がする。
私の顔を沈める枕からは、華やかな柔軟剤の香りがして、その心地よさにふにゃりとした意識がまどろみに溶けていき、また眠りへと誘われてしまう。
夢の残り香は、なんて優しいものなのだろうか。
夢と現にあるこの境界は、いずれ儚く消えてしまう煙のような楽園だ。
少しばかり開けた窓の隙間からは、朝露をつけた木々の葉の香りが舞い込み、朝日の白がカーテンレースを映し出して、部屋の中を淡い青に照らし出している。
たったひとときの朝に、私は今、生きている。
平日の忙殺が別の誰かの出来事だと思えるほどに、日曜日の朝は静かで愛おしい。
ふと、私は先ほどまで見ていた夢を思い返そうとした。
何の夢を見ていただろうか。
私は未だ重いまぶたを閉じながら、ゆっくりと記憶の海路を辿っていく。
白い夢。そうだ、あれは白い夢だ。
私は断片となり散らばっている夢の欠片を、一つ一つ丁寧に繋げていく。
幼い時に見た家族との水族館の記憶、夕暮れ時の美術室で友人と笑い合った記憶、深々と降る雪の夜道に手を繋いで歩いた記憶。
物語とはいうのには、少しお粗末なものかもしれないが、その一つ一つは私にとってはかけがえのない記憶たちだ。
今が決して幸福じゃない、わけじゃない。
それでも過去を思い出して、またその優しい記憶を泳ぎたいという気持ちは、まだ私の中に幼き童心というものが時折泣いているからなのだ。
無性に、優しさに触れていたい。
私はまどろみの中、左手で小さくシーツを握った。
大人になった私に向けられるのは「自立」ばかりだ。
もう「自立」して数年経ってはいるが、いつまでたったって「自立」というものがわからない。
責任を負うことが自立か、お金を稼ぐことが自立か、歯を食いしばることが自立か、本音を隠すことが自立か。
そんなものが自立というのなら、私は自立なんていらない。
そうやって何もかもを投げ出したくなる時は、たった一人、私は遠いどこかへと放浪する。
箱根の山奥、岩手の海岸、鎌倉の竹林。
私という人間そのものが感じる場所へと、私は還るのだ。
旅を繰り返し、私は還り続け、洗練されていく。
自然に触れ、芸術に触れ、人よりも見える視野も感じる感度も鋭敏になってはいるが、やはりそれは、見えすぎてしまう、感じすぎてしまうという、もはや神経過敏症のような悪癖をもたらした。
人の気持ちが痛いほどわかるからこそ、私はどうも素直になれない。
疲れ切った平日の夜は、独り静かで暗い夜の部屋の中で、使い古したパジャマを着込んで、柔らかな自分の殻に閉じこもる。
時折見る夢に縋りついてしまうのは、きっとそこにしか光がないからなのかもしれない。
平日の私なら、けたたましいアラームと一緒に飛び起きて、まどろみなんかに現を抜かすことなく、洗面所へと直行しているだろう。
でも今日は、私にとって特別で平穏な日曜日の朝。
もう少しだけ、このまどろみに甘えていたい。
この、美しくて儚い、日曜日のひとときに。
先ほどの夢の続きが見れますようにと神様に祈りながら、私はゆっくりと夢への梯子を一つ一つ降りていった。
※こちらの作品より描いた作品です