映画『オッペンハイマー』をめぐって──科学者たちの複雑な心理を考える
アカデミー賞に輝いたり、有名監督の最新作であったり、興行収入が十分に見込めながら、上映が遅れていた『オッペンハイマー』を観た。原子爆弾のことは古くから関心をもってきたことであるし、つい最近、そのことに触れざるえないことがあった。
「IT批評」書籍化なる
わたしがやっている「IT批評」は2010年に定期刊行の書籍という、雑誌になりきれないかたちで創刊した。なんとかふんばって2013年まで4号(vol.0~ vol.3)を出したが、採算があわず、当時、版元の経営者でもあったわたしはやむなく刊行を停止した。その後、かたちばかりWebに移行して細々とつづけてきた。
わたし自身が病に倒れたこともあって、会社ごと友人の会社に引き取られた。それが現在も所属している株式会社トリプルアイズだ。AIをはじめとする先端テクノロジーを取り扱うベンチャー企業だ。わたしが加わったとき、会社は上場を目指してしゃかりきになっている状態で、わたしもいったんは出版のことなど傍に置いて、微力ながら会社の目標の実現を追いかけた。すこし落ち着いた間を見計らって、「IT批評」をオウンドメディアとしてWebで復活させた。当初は寄稿も取材も外注する予算もなく自身で文章を書きはじめた──それを、noteに転載するようにしている──。どんなかたちであれ、リスタートすることが大事だったのだ。幸いにしてAIベンチャーである。そのオウンドメディアとしてなんら違和感もない。広報活動の一部としても成立する。そう考えたのだ。
友人だった創業社長が急逝するというとんでもない苦難もみんなの力で乗り越えて、会社は2022年5月31日、東証のグロース市場に上場した。順風満帆といえるような成り行きではないが、業績も拡大、安定の道を歩みはじめている。
そのなかで「Web IT批評」もすこしずつ拡充していった。わたしがコンセプトに掲げていたのは、AIを中心とする先端テクノロジーに対する、より専門性の高い論点とより大局的な広い視点の融合だった。前者についてはAIの研究者に専門分野ごとに中心となっている課題を訊いてまわり、後者については社会や思想系の方々にAIが進化し浸透するなかでの社会や人間の変化について訊いてきた。これまでに50名以上の方々に取材して記事をものした。
その取材記事をまとめた書籍が『生成AI時代の教養 技術と未来への21の問い』(桐原永叔・IT批評編集部編著/風濤社)であり、先ごろ(4月22日)はれて発売となった。ぜひ手にとっていただきたい。
テクノロジーとヒューマニズムの交錯
この『生成AI時代の教養』はインタビュー記事のアンソロジーである。結果として464ページという大部になってしまった。その劈頭にわたしは序論を書いた。そのタイトルは「テクノロジーを語ることは近代を考えなおすこと」という。5000字ほどあるのだが、その内容は、このレビュー記事にも数回にわたって書いてきた〈近代の超克〉から眺めた場合の現代テクノロジーの意味であり、にわかに再注目されはじめたヒューマニズムのことだ。
ヒューマニズムというものがルネッサンス以降のコンセプトだとしたら、それ自体もテクノロジーの産物かもしれない。すくなくとも、わたしたちはもはやテクノロジーぬきにヒューマニズムを語ることも論じることもできない。
さて、この序論になかで一節、原子爆弾に言及した。それは近代批判、機械文明否定が大勢を占めた〈近代の超克〉というテーマ──イデオロギーにはなり得てない──を打ち砕いのが、先進科学と先端技術の粋を極めた原子爆弾だった、と。
この原子爆弾を完成させたのがマンハッタン計画を主導した物理学者、ロバート・オッペンハイマーである。その複雑な人物像を描ききったのがクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』である。
本国アメリカではすでに昨年の夏頃に公開され、高い評価を得て、アカデミー賞でもクリストファー・ノーランに初めて作品賞をもたらした。このほかに監督賞、主演男優賞を受けた。監督賞については同じく第二次世界大戦を舞台にした『ダンケルク』以来、2度目の栄冠であった。
アメリカでの公開当時から話題になっていた『オッペンハイマー』は、一時、日本では公開されないのではないかと噂された。本国とさほど時差なく公開されることが多くなったハリウッド映画であれば、有名監督の話題作が半年以上も遅れたのは、夏頃の公開であれば広島、長崎に原爆を落とされた時期に近く国民感情を傷つける可能性があったからとされている。いまでも、日本人を無慈悲なまでに殺傷した原子爆弾の生みの親とされるオッペンハイマーの映画というだけで、強い拒否感を表明する有名人もいる。
わたし自身はこの論調は〈近代の超克〉時代の機械文明否定と似ている部分があるように思う。実際に自身や近親者が被害に遭われた方々にとって、仇敵ともいえる物理学者を賞揚するかのような映画なら目の端にさえいれたくないものだろう。それは十分に、心情として理解する。ただ、日本人であるというだけでオッペンハイマーに不快感を急に表明するのはいささかの違和感がある。あたかも、東洋人であるだけで西洋からきた機械文明を拒否したかつての日本人たちのように感じられるのはお門違いか。
映画には登場しないのだが、東京大空襲をはじめ日本の都市を焼夷弾で焼き払い、原子爆弾投下をB29エノラゲイ号機長のティベッツに命じたアメリカ陸軍航空隊の司令官カーチス・ルメイなどは、戦後、日本の航空自衛隊の創設に尽力したとの理由で勲一等旭日大綬章を受けているのだ。その当時もさんざん問題になったことだが、世界史上もっとも日本人を多く殺した人物に勲章を与えるような政府をもった国にいて、今回の映画『オッペンハイマー』にまつわる議論は、なにか大きな前提を欠いている気がしてならない。
この映画の原案となったのは『オッペンハイマー』上・中・下(カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン著/河邉俊彦訳/山崎詩郎監訳/早川書房)だ。公開に先立って1月に刊行となったが、わたしは手元においているだけで未読なので、これ以上は触れられない。
科学者はなぜそうするか?
実はこのレビュー記事においても一度、原子爆弾の話に触れたことがある。ちょうど3年前の「#09 AI研究開発は今世紀の核軍拡競争となるのか?」において、AI軍拡競争が危惧されるなかで、かつての冷戦を振り返り、先進科学と先端技術の粋を極めた原子爆弾をめぐる大国の攻防を参照したし、原爆の研究開発にあたっては、リチャード・ファインマンといった若き物理学徒──アトランティックレコードのプロデューサーであったトム・ダウトまで!──がアメリカ中からロスアラモスに集結していたことや、日本でも原爆開発が試みられたいたことも述べておいた。それにボーア、ノイマン、アインシュタイン、フェリミ、ハイゼンベルグといった錚々たる天才のみならず、クラウス・フックスといった人物にも言及した。
ボーア、ノイマン、アインシュタイン、フェリミ、ハイゼンベルグはこのレビュー記事においてはもはや常連と呼べるほど言及することが多い人たちだが、ノイマンをのぞいてすべてが映画『オッペンハイマー』に登場する。わたしなどはそれだけで画面に釘付けになってしまったのだが、映画のテーマとは関係ない話だ。
映画自体は、非常に複雑で容易には理解し難い天才の心情を描き切ったという点で質の高いものだった。科学者の倫理観や天才の悔悟に焦点をあてて反戦や反核といったメッセージとしてまとめることは、誤解を恐れずにいえば映画としてそれほど難しいことではない。そのために、被爆地の悲惨な状況をスクリーンに再現してその過酷さを体感させることもさほど困難な演出だとは考えない。いやそういう演出をすれば、この映画の重要な部分が損なわれるのではとさえ思う。
ノーランが描こうとし、さらに倫理観や科学の悪魔性以上に深刻なテーマとなるのは、そのスキゾフレニアな──映画は、「FISSION(核分裂)」「FUSION(核融合)」という2つの視点から描かれる──複雑さをもつ人間の知性と理性のあり方だ。ここにこそ、現在のAIなどの先端テクノロジーに携わる人間の知性、理性を考えるうえで大きな示唆がある。わたしたちはひとつのアイデンティティに基づいて生きてはいないし、悪意や無関心は善意(倫理)の対照としてあるのではないし、知識への情熱もけっして悪意や善意を反映するものではない。
原爆開発にかかわる科学者のドラマは以前の記事でも言及したマイケル・フレインの戯曲『コペンハーゲン』(小田島恒志訳/ハヤカワ演劇文庫)という名作が先行例としてある。歴史上の事実である、ナチス占領下でのボーアとハイゼンベルグの対話を描いているのだが、ハイゼンベルグの態度はどちらともいえず揺れているようにとることができる。それはもしかしたらオッペンハイマーと対をなすものかもしれない。
『生成AI時代の教養』での野家啓一先生のインタビューで、わたしと先生はこんなやりとりをした。この書籍の重要なテーマ(通奏低音)でもあるし、『オッペンハイマー』にある人物の描き方も通ずるものがあるので、長いが引用してみよう。
歴史的大義と科学者のジレンマ
映画『オッペンハイマー』で原爆の開発と投下に対する大義として挙げられるのは、「原爆投下によって早期に戦争を終結し、さらなる犠牲者を減らす」という論拠だ。これについては、ポツダムでトリニティ実験の成功の報を聞き、兵士たちに向かって「家に帰る時だ」といったトルーマン大統領──映画ではゲイリー・オールドマンが快演──や、さきに述べたルメイも「当時日本人を殺すことについて大して悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」と言い残している点でもひとつの考え方として定着していたことがわかる。
現在でもアメリカ人の多くが決定的な兵器が戦争の趨勢を決定して犠牲者を減らすという論理に納得している。戦争を始めたのは日本人であり、その残虐さと執拗さは戦争が継続する分だけ、日米双方に大きな犠牲者をだすだろう。1945年11月を予定していた本土上陸では、沖縄戦の数十倍の犠牲を覚悟していたとされる。
この論理で考えを進めれば、当時の軍部によって死に向かわせられていた日本人の命さえ救ったのだということになる。現在もそう考えるアメリカ人は多い。日本人が死に向かったのには、軍部に限らず〈近代の超克〉といった言論の力も大きなものだったと考えられるが、今回はそこには立ち入らない。
この「最新兵器による戦争の早期終結」という論理は、第二次世界大戦以前からあったものだ。第一次大戦に登場した毒ガス兵器マスタードガスの開発にかりだされた化学者たちにも同じ論理が適用されたのだ。
原子爆弾を生み出す最初の一歩となった核分裂をリーゼ・マイトナーと発見したオットー・ハーンは、第一次大戦中はガス作戦に従事していた。
1938年の核分裂の発見は、世界中の物理学者に衝撃をもってむかえられた。映画『オッペンハイマー』においても物理学者たちが新聞をつかんで大騒ぎするシーンが描かれていた。その爆発的なエネルギーが巨大な爆発を伴う兵器に転用できると考えた物理学者も世界中にいた。もっとも初期にそのことに気づき動き出した人物にハンガリー生まれのユダヤ人物理学者レオ・シラードがいる。映画『オッペンハイマー』ではけっして重要な役どころではないが、2回、登場していた。一度はシカゴ大の地下の研究室でフェリミの助手として、二度目は無警告の原爆投下の阻止を訴える嘆願書にオッペンハイマーの署名を求めるシーンだ。レオ・シラードはユダヤ人であり、早くから原子爆弾をナチスが開発することをなによりも恐れていた。アインシュタインの署名を得てルーズベルトにアメリカにおける原爆開発を急がせた人物でもある。わたしなどは、ここにも科学者の複雑さを感じてしまう。
レオ・シラードは映画『オッペンハイマー』での扱いのとおり、それほど大きく取り上げられることがない人物である。物理学者としての実績が並み居る天才たちに及ばないこともある。しかし、同じくハンガリー生まれのユダヤ人ジョン・フォン・ノイマンと並んでハンガリー生まれの宇宙人──それほど飛び抜けた頭脳の持ち主──と称されることもあるほどの人でもある。
このレオ・シラードを狂言回しのようにして、量子物理学の革命からマンハッタン計画、そして原爆投下作戦までを漏らすことなく描いたのが、リチャード・ローズの『原子爆弾の誕生』上下(神沼二真、渋谷泰一訳/紀伊國屋書店)である。
第一次大戦におけるガス兵器や都市部への空襲といった作戦の登場から、量子革命と核分裂、ルメイも登場するアメリカ航空隊の作戦行動、投下場所を決める標的会議の様子、原爆をテニアン島に運んだあとに日本海軍の潜水艦に沈められ悲惨な最後を遂げたインディペンデンス号の事件までほとんど言及すべきすべてが網羅されている。
ローズは、マイケル・フレインの名作戯曲の元になったボーアとハイゼンベルグの会談についても詳述する。ナチスの監視を警戒しながら交わされる会話の真意は、ハイゼンベルグがのちに述べたように「ナチスはこの戦争中には原爆は完成できない」というサジェストだったのか、それともボーアがそのときに受け取った「ナチスは原爆を開発するから協力してほしい」というメッセージだったのか。どちらにも信憑性があり、あたかも羅生門状態である。フレインが戯曲のテーマにするのもよくわかる。
ピューリッツァー賞を受けた『原子爆弾の誕生』のサイズはA5判で上下あわせて1500ページほどになるが、非常に面白い。ソビエト崩壊前の内容とはいえ、じゅうぶんに現代の読書にたえうる、というかこれ以上の原爆関連の本を知らないぐらいだ。
より原子爆弾の仕組みをふまえて知りたいのなら山田克哉の『原子爆弾 その理論と歴史』(講談社ブルーバックス)を忘れずに推薦しておきたい。『原子爆弾の誕生』にもすこししか登場せず、映画『オッペンハイマー』に至っては登場さえしないフォン・ノイマンは、長崎に投下されたプルトニウム型爆弾の起爆装置が、広島に投下されたウラン型爆弾のガンバレル方式ではうまくいないとわかり行き詰まったとき、オッペンハイマーからロスアラモスに呼ばれたと述べられる。「トマトを『こわさずに』つぶす」と見出しにいうとおり、それだけ難しい起爆について爆縮レンズを開発しインプロージョン式を実現したのがフォン・ノイマンだったのだ。
日本の原爆研究と国際的な競争の歴史
『原子爆弾の誕生』を日本人が読んで面白いのは、量子力学の発展時期、原爆の開発競争の時期など、折にふれて日本の研究について詳細に論じられるところだ。ドイツは量子力学のひとつの中心地であったし、アメリカやイギリスが恐れたように原子爆弾開発の可能性が非常に高かったから、それなりにページを割かれるのは当然かもしれないが、日本の状況は当時、それほど注目されていなかった。戦後は原子爆弾の被害を受けた国としての認識が強すぎて、世界でももっとも早い段階で原子爆弾の研究開発に臨んでいたことは日本人ですら忘れている。
量子力学の入門書や研究にまつわる歴史書でもさほど触れられることがないとはいえ、土星型の原子モデルをボーア以前に提唱した東京帝国大学教授・長岡半太郎や戦時中の原子爆弾研究で言及される理化学研究所の仁科芳雄は『原子爆弾の誕生』を読む以前からわたしも知っていた。しかし水爆の原理を発案していた京大の萩原篤太郎についてはこの本で初めて知った──のちに著者のローズの誤認であることが指摘されている──。
戦中の日本の原爆研究については、陸軍航空本部が主導した理研の仁科研究所の「二号研究」と、海軍艦政本部が指揮した京大の荒勝文策の研究室のものがある。リードしていたのは、理研の仁科研究所でサイクロトロンを建造し粒子を加速し核反応実験を行なっていたが、ルメイが指揮した東京大空襲で焼失した。当時、反目していた陸軍と海軍の原爆開発のそれぞれの動きはノンフィクション作家の保阪正康が書いた『衝撃の戦時秘話 原子爆弾完成を急げ』(朝日ソノラマ)で丁寧に描かれる。原子爆弾の完成は、ヨーロッパの名だたる物理学者たちも簡単ではないと認識しており、それは日本でも同様であった。ボーアも当初は国をまるごと工場にしても完成には数年かかると述べたとされている。仁科ら日本の研究者はいくらアメリカでも第二次世界大戦中に原子爆弾を開発することはできないと考えていた。
ところがアメリカはそれこそ国をひとつの工場にするかのような実行力で、短期間で完成させてしまう──もっともトリニティ実験が成功したのは広島への投下の10日ほど前だが──。
広島への原爆投下を目の当たりにした軍部は本書のタイトルのとおり仁科に原子爆弾を急いでつくるように指示したが、すべてを失った日本の研究者にはどうあっても不可能なことだった。
もうひとつ面白い史実を知れるのは五島勉の『究極の終戦秘史日本・原爆開発の真実: その戦慄の破壊力と昭和天皇の決断』(祥伝社)だ。日本ではウラン(U-238)さえ採掘できず、核分裂を起こすウラン235(U-235)はさらに貴重な物資であった。これをナチスドイツからUボートを使って持ち込む計画があった。この計画はアメリカ軍が傍受するところとなり、シンガポール沖でウラン235(U-235)運搬中のUボートは捕獲されてしまう。アメリカ軍の最上層部は日本宛の積荷がウラン235(U-235)であることを知って驚愕する。日本でも原爆開発が行われていることを知ったからだ。アメリカ軍は詳細に日本の開発状況をつかみ、日本がウランの代わりに使用を考えていたトリウムの採掘場である福島県石川町を爆撃している。東京大空襲で理研が狙われたのと同じ時期だと、五島勉はこの本で述べる。このあたりの諜報活動についても興味深いのだが、史実としてどこまで信頼に足るかはわからない。
戦時下の科学と倫理
ここまで書いてもう1冊おもいだした。科学者の倫理観を考えるうえでも、戦時下の機密情報の謎を考えるうえでも示唆があり、しかも科学文明のまえに降伏した日本が戦後、どのように科学文明にむきあってきたのかを考えさせられる本。それはノンフィクション作家の藤原章生の『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか “最後の弟子”森一久の被爆と原子力人生』(新潮社)だ。衝撃的なのはタイトルが示しているように、原爆投下前に日本の学者のあいだに都市に対して新型爆弾が投下されるという情報(噂?)が流れていたという証言が大きなモチーフになる。
1945年の春ごろ、湯川秀樹の京大の同僚教授が広島出身の自身の学生に対し「広島は危ないから両親を疎開させろ」と内密に伝えたという事実が残っている。この時期が重要なのは、映画『オッペンハイマー』にもシーンがある標的会議で京都、小倉、新潟と並んで広島の名があがった時期と一致していることだ。果たしてこの学生は両親を疎開させ、原爆の被害を免れた。
もっと重要な事実は内密に伝えた場に湯川秀樹も同席していたことだ。なぜなら、彼の教え子にも広島出身の学生である森一久がいたからである。原爆投下のとき、広島の実家にいた森一久は両親を一瞬にして失い、自身も生死の間を彷徨った。森は新型爆弾投下を口にした教授がいたこと、その場に師である湯川がいたことを知ったのはずっとあとのことだ。森はそれを藤原と探ろうとするが、結局のところ、確たる事実は掴めない。
この本では、湯川の最後の弟子といわれ、ジャーナリストから日本原子力産業会議副会長まで務めた森が生涯かけて原子力という呪いと向き合う姿を丁寧に描いていく。“原子力村”のあり方を、「仲良しクラブ」とまで痛烈に批判した森の倫理感、責任感は非常に重いものだ。戦後のオッペンハイマーの悔悟と、それに伴う運動にも通じる。それは圧倒的な被害者と圧倒的な加害者という架橋不能なものかもしれないのだが。
オッペンハイマーは戦後、日本人物理学者の多くをアメリカでの研究に招いて日本の物理学の発展に寄与してきたし、1965年、ロスアラモスにもいたリチャード・ファインマンとともにノーベル賞を受賞した朝永振一郎の研究にいち早く目をつけ物理学雑誌への論文掲載を後押ししたとされる。
物理学者の罪悪感。森一久は湯川秀樹にひじょうに可愛がられ、森の依頼で原子力委員にも就任している。どこかオッペンハイマーの戦後の日本人、同学者への思いを彷彿とさせる。
ファインマンには湯川や朝永が登場する愉快なエッセーがある。これなども日本に原爆を投下したマンハッタン計画に参加した経験に屈託はまったくない。ちょっと言及すべきかもしれないが長くなるのでここまでにしよう。
スパイ活動と冷戦時代の科学技術
萩原篤太郎が世界で初めて原理を発見したいたといわれた水爆は映画『オッペンハイマー』でも肝になるモチーフである。オッペンハイマーはロスアラモスで重水素を使った核融合爆弾(水爆)のアイデアを主張する──水爆の父と呼ばれる──エドワード・テラーに厳しく接する。世界が壊れてしまうことを恐れて。
オッペンハイマーの後半生は水爆をめぐり窮地に陥っていくのだが、そのきっかけはエドワード・テラーにある。先に述べたクラウス・フックスはこの機密をソ連に漏らしており、それによって、アメリカに遅れることわずか1年でソ連は水爆完成に至っている。映画でもこの史実は重要な部分だ。
オッペンハイマーのもと理論物理学者として臨界計算を担っていたクラウス・フックスが、1944年にKGB本部に向けて送った暗号電文が1949年に解読され機密漏洩は明るみにでる。逮捕されたフックスは自白を始める。衝撃を与えたのは、1942年にすでに原子爆弾の設計法をソ連側に流しており、数年にわたって実験データや計算書類を流出させていたことだ。すべてはKGB本部に渡った暗号電文に、オッペンハイマーとフックスが共同執筆した秘密論文があったことから露見した。
ポツダム宣言の際、トルーマンが非常に強力な新型爆弾が完成したと話してもスターリンがさほど動揺を見せなかったのはすでに原子爆弾のことを知っていたからだ。冷戦はすでに戦中から始まっていたのだ。
フックスがいかにして極秘書類を受け渡したかは、スパイ映画さながら──むしろ映画のほうがこの事実を模倣したというべきか──のスリリングさである。スティーヴ・シャンキンの『原爆を盗め! 史上最も恐ろしい爆弾はこうしてつくられた』(梶山あゆみ訳/紀伊国屋書店)はこの攻防を描くノンフィクションで、おそらくは原爆開発にまつわる書籍としてはもっともわかりやすく読みやすく、娯楽性も高い。
このほかにも以前の記事で取り上げた本をもう一度あげておくと、フォン・ノイマンが主役となる『囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論』(ウィリアム パウンドストーン著/松浦俊輔訳/青土社)も米ソの原爆開発をめぐるチキンレースをゲーム理論にもとづき心理戦として描きだす。いうまでもなく、ゲーム理論を生んだのはフォン・ノイマンだ。『原爆を盗め!』でも『囚人のジレンマ』でも、繰り返されるのはアメリカのみが強力な新兵器をもってしまったときに世界のバランスが失われるという危惧だ。映画『オッペンハイマー』の重要な登場人物であるボーアも戦中から原子爆弾の共同保有を提唱してきたし、フックスたちがクレムリンの意思とはうらはらに目指したのも原子爆弾の共同保有だった──ここに偏在と遍在の問題があるのだがもはや紙幅がない──。
トルーマンも、そして映画『オッペンハイマー』でもうひとりの主役といえるストローズがより政治的な現実性から唾棄する考え方も原子爆弾の共同保有である。
テクノロジーの進化は多少、倫理に反するリスクがあっても、進化を遂げればそれ以上のベネフィットを人類にもたらすという考えは古くからある。それは、カントの理性の狡知、ヘーゲルの歴史の狡知を起源にするような気がする。個人の自己中心的な行動で発生した事件さえも、大局的にはより大きな目的実現に必要な“悪賢さ”だという。新兵器によって多大な犠牲者がでても、その分、戦争が早く終結するという大きな目的を実現できるのだと。
しかし、広島、長崎、そして冷戦と、その後の世界というのが、それらの犠牲に値するだけのより大きな目的にわたしたちを導いてくれたのだろうか?
翻って、現在の加速主義者たちの思想にこの手の狡知(悪賢さ)を許容してしまう素地があるような気がしてならない。