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世界の中心、地球のへそ ウルルに寄せて | 2015年

こんにちは。
4月中旬から5月上旬に行っていた新婚旅行のことをまとめています。
今回は、新婚旅行をオーストラリアに決めた一番の理由、いつか夫と見たかったウルルについて。ケアンズからウルルへの移動と、2015年に一人旅で訪れた思い出を振り返ります。

早朝の空港

エアーズロックへの移動の飛行機は朝7時。
まだ真っ暗なうちにホテルをチェックアウトして空港に移動です。
タクシーも事前にホテルのフロントの人に予約してもらったおかげでスムーズでした。
ありがとう、ケアンズ。ありがとう、プルマンリーフトップカジノ。

スーツケースに1都市目のステッカー
夜明けの空港のワクワク感

早めに着いた空港で順調にチェックインを済ませて出発ロビーで待ちます。
ここまで来れば一安心です。
いろんなお土産屋さんやカフェがあってのんびり過ごせました。

このSOY SOUCEちゃん
買っておけばよかったぜ

ケアンズから飛行機で 約3時間

ケアンズ上空から見えた熱帯雨林の緑は、内陸に進むにつれていつの間にかなくなって、明らかに地形が変わったのがわかりました。

どこまでも続く大地。
平坦で荒涼とした土地に気まぐれにあるこんもりとしたところと平らな大地をつくるための帳尻合わせの皺のように山が見えました。

白い湖のようなものや筋がたくさん空から見えました。塩湖?なんだあれは。

不思議な景色
白い筋が果てまで続く

気がつくとそんな帳尻合わせの山もなくなって、荒涼とした大地になりました。
こんな何にもないところにも大昔から暮らしていた人たちがいることに驚きつつ、こんな何もないところにポコンと飛び出した世界最大級の一枚岩、ウルルはきっと神様のように見えるだとうと思うのです。

何もなくなった

飛行機に乗って2時間30分ほど、
機体が旋回し、窓からウルルが見えてとても胸が高鳴りました。
ああ、相変わらずのお姿で。
相も変わらず美しい。

やけに感傷的になるのは、今回の旅行の目的の一つがウルルを見ることだからでしょう。

2015年、ウルルは神様のようだった。

9年前のお話です。
2015年、大学を卒業したばかりの頃に一人で訪れたのがウルルでした。
2ヶ月ほどでオーストラリアを転々として過ごしていた中で“エアーズロック“は見ておこうかな、という軽い気持ちで予定に組み込みました。
「世界の中心で愛を叫ぶ」の亜紀ちゃんの影響が大きかったと思います。

世界最大級の一枚岩、ウルルを見るためには、エアーズロックリゾートを拠点にしなければなりません。リゾート価格のお宿が多い中、一人旅の私はバックパッカー向けの2段ベッドがずらっと並んだ部屋に泊まりました。早朝ツアーに参加した人が日中は休んでいるため部屋は薄暗かったような印象です。ご飯も飲み物も全てリゾート価格でびっくりしました。(今思うと当たり前)

勝手な印象で、リゾートとウルルはとても近いと思っていたけれど、実際には20キロ以上離れていて、ツアーか自分で移動手段を持っていないと、そもそもウルルに近づくことはできません。ウルルやその周辺はウルル・カタジュタ国立公園に指定されているため入場券を買わないと入れなくなっています。

トラベルデスクでサンセットツアーに申し込み、滞在初日にウルルの夕焼けを見に行くことにしました。申し込んだツアーは、ハーレーに乗ってウルルの周りを巡り、サンセットを見せてくれる「エアーズロックサンセットバイクツアー(タンデムライド)」というもの。大型バイクでウルルまで行くってかっこいい!と思って申し込みました。
この時にツアー申し込みの時に買ったウルル・カタジュタ国立公園への入場チケットは今でも宝物です。

今でも持っている 国立公園への入場チケット

世界の中心、ウルルまでバイクで向かう

定刻通りに迎えにきてもらい、ハーレーに合わせてライダースジャケットまで貸してもらい気分上上の状態でウルルに向かいます。視界を遮えるものが何もない中、バイクで走るのはとても気持ちよかったです。進んでも進んでも何も高い建物に空が遮られることもなく、信号で止まることもなく、ただ運転手さんのスピードでドドドドドドと地平を走っていく爽快感!バイクとっても気持ちいい!
この経験もあって、帰国後に中型バイクの資格をとりました。(※その後、資格を活かしてはいない)

バイクでサンセットを見にいった日は雲ひとつないカラッとした夕暮れでした。
夕陽に照らされたウルルは太陽の光を受けて色がどんどん変わっていきます。陽が沈む手前の時間、こんなにも赤いのかとびっくりしました。遮るものがない中にボッコリと、まさに地球のおへそのようにウルルが横たわっていることが不思議で、あまりにも悠然と横たわっている様はまさに神様のようでした。

ウルルのそばで過ごす数日間 

幸い、滞在中はずっと天気に恵まれていました。
翌日はウルルのサンライズを見るツアーに参加して、夕陽とはまた違うウルルの夜明けを見たり、ポストカードを買って両親に手紙をだしたり、ラクダ牧場に行ってラクダを撫でたり、スーパーで果物を買ってご飯の代わりしていました。展望台まで行けば遠くにウルルが見えるので朝日を見たり。のんびりと過ごしました。基本的にエアーズロックリゾートはウルルに行くための施設のため、国立公園にいく以外に何も娯楽がないのです。リゾート内でアボリジニのカルチャーを教えてくれる時間があるので、言葉がわからないなりに遠巻きに眺めたりしました。

朝方はピンクっぽい色をしていました。
ラクダ

ウルルには登らない選択をした

2015年、ウルルはまだ登頂することができました。
バスでウルルの間近に行ってみると、ウルルの登頂口は金網があり、現地を所有しているアボリジニの許可が出た日しか登ることはできません。(風が強い、気象条件が悪いなどで門が開かれない日も多かったとか)
金網には、さまざまな国の言語で、どうしてウルルに登ってほしくないのか、アボリジニの方の気持ちが書かれていました。
ウルルという場所はアボリジニにとって大昔から現在にかけてとても大切な聖地であり、この場所を登ることで誰にも怪我をしたり亡くなったり、悲しい気持ちになってほしくないと。
(ウルルは岩山なので登るのはかなり過酷で、怪我・死亡事故が起きていたし、日本人の死亡事故もあった)

そんな文章に触れて、私は登らなくていいかな、と思い、カルチャーセンターにあったウルルに登ることへの反対署名をしたことを覚えています。ここはただの岩山ではなく、彼らにとって大切な場所なのだと、エンタメやアトラクションのように扱うべき場所ではないと思ったからです。

その後2019年、登頂口は先住民族のアボリジニ・アナング族によって永久に閉鎖されました。現在では登頂口にあった金網は撤去され、登頂するために使っていた鎖もありません。岩肌にはかつての人々が登るために踏みしめた後が白い筋となって残っています。
時々、「せっかくならエアーズロック登ぼっておけば良かったのに」と言われますが、あの時、登らない選択をして後悔はなく、閉鎖されてよかったと思っています。
※ウルルへの登頂は日本人にとても人気のツアーで、2019年の閉鎖が決まってから閉鎖の前に駆け込みで登ろうと日本人旅行客が殺到したそうです。複雑な気持ち。

歩こう、ウルル

登らない代わりに、何をしたかというと9.4キロにもなるウルルの周りを歩きました。この気軽に初めたウォーキングはとても過酷で気軽に人にはおすすめしません。
「歩いてみるか〜」と考えなしに進み始めて、いつの間にか周りに誰もいなくなった状態で一人で黙々と歩いていました。おそらく、主要スポットがあるところだけを歩いて皆様は引き返したのではないかと思われる。そんなことを知らずにえっちらおっちらと歩きました。遠くから風に乗ってコヨーテだかディンゴの鳴き声が聞こえてきた時はゾッとしました。いつまで経っても歩き終わらないし、一人だし、持っていた水も無くなってきた中で不安の最高潮。

風に乗って聞こえる、獣の声

そんな時に50代くらいの夫婦が歩いているのを見つけました。人の気配にとっても嬉しかったです。「人だ!人だ!もう大丈夫だ!」と思ってものすごく安心したのを覚えています。夫婦とウルルの写真を撮るのとお手伝いすると、そのあとは一緒に歩いてもらいました。とても良くしていただきました。

人に出会って安心している
「ありがとーーー!」
人に出会って安心してなぜリンゴを食べた

この時出会ったオーストラリア在住の夫婦とは、その後もクリスマスカードのやり取りなどをして親交があります。日本に遊びにきてくれたこともあり、今回の旅行でもこのあと訪れるメルボルンでお世話になる予定です。

人生の中でも宝物と呼べる出会い、ウルルが繋いでくれた良縁に感謝です。

もう一つの聖地、カタジュタへ

ウルルが有名ですが、同じく国立公園の名前を冠しているカタジュタもウルルと並ぶ聖地です。カタジュタを歩くコースに申し込み、3時間ほどかけてトレッキングをしました。トレッキング序盤、iPhoneで写真を撮ってくれた女の子が誤ってiPhoneを落としてしまい、岩肌で画面が砕け散りました。(地面が岩なもので)
ものすごく女の子が謝ってくれて、お父さんと思われる方が修理代としていくらか持たせてくれました。写真を撮ってくれただけなのに、申し訳ないなと思いましたが、お金は正直とってもありがたい!

壊れる前のiPhoneに残された最後の写真

iPhoneを修理するお店はエアーズロックリゾートにはなく、次の街でも祝日都合で修理できず、しばらく強制デジタルデトックスされた状態で過ごしました。今となってはいい思い出です。(元々ポケットWi-Fiも持ってなかったのでホテルでしかネットを使っておらず、ほとんどカメラの役割がメインだった)
一番困ったのが、最後のツアーに参加するために早朝起きなければならなかった時(移動を兼ねてキングスキャニオン経由で次の街、アリススプリングスに行く時の)
アラームにしていたiPhoneが使えないので、たまたま隣の2段ベッドにいた日本人の方に事情を説明して、その方が持っていた目覚まし時計をお借りしました。早朝、無事に起きて持っていたお菓子を添えて目覚まし時計を返却しました。

空まで燃えた カタジュタのサンセット

iPhoneを失った状態で、修理しようにもどうにも足掻きようがなかったためとても落ち着いていました。最後の日だし、カタジュタの夕陽を見ようとサンセットツアーに参加しました。

その日は薄い雲が空全体にかかっていて初日のカラッとした雲ひとつないウルルとは雰囲気が違いました。カタジュタやウルルの存在にも少し慣れてきた頃で、最初の頃の畏れもありつつ親しみを持っていたように思います。(一周歩いた達成感もあり)
その日の夕焼け特に強烈でした。

ウルルのように大きな大きな神様のようなカタジュタ。
そして薄雲に赤い土の赤さが反射して空が信じ難いほど真っ赤に染まりました。「燃え上がるような赤」という表現が合う、真っ赤な夕焼けでした。ちょっとおどろおどろしいくらい赤い。年に数回しかないそうですが、運よく気象条件にめぐまれたおかげで、真っ赤になった空とカタジュタを見ることができました。あまりに壮大、荘厳な景色。景色を見て泣くほど感動をしたのは初めてでした。
22年ばかりしか生きていない私の語彙力ではとても表し難い美しさ。畏れ。
あまりに現実離れした景観だったので、iPhoneの画面が割れて当時の写真もない状態で今では夢だったんじゃないかとも思います。

そんな強烈な景色を見た時に、『今度は夫になる人とここに来たい』と思ったのです。
結婚願望が強くなかった私が、夫と見たい!と思ったことにも当時びっくりしました。
日本から遠く離れたウルル・カタジュタ。目の前のこの景色を一緒に思い出にできるとしたら、それはきっと素敵なことだろうと。

今回、ハネムーンの地にオーストラリアを提案してウルルを日程に捩じ込んだのは、そんな自分への伏線回収でもあったのです。

ウルルを取り巻く環境と文化

※ガイドさんのお話をもとに記載していますが、記憶違いなどがあったら申し訳ありません。

オーストラリアに白人が入植して、どんどん開拓が行われていく中で、先住民族は迫害され、代々の土地はどんどん奪われていきました。
「エアーズロック」という呼び名はイギリスの探検家がつけたもので、1873年の南オーストラリア長官のヘンリー・エアーの名前をつけてエアーズロック(Aers Rock)という名前がつけられて今でも定着しています。現在では先住民族の人々に敬意を示すためにアナング族の方の呼び名のウルル(Uluru)が正式な呼び方となっています。
同じ国立公園内にある聖地・カタジュタも前までスペインの女王陛下の名前を冠してマウントオルガ(Mt.Olga)と呼ばれていました。

現地の看板などもUluruと表記されていて、エアーズロックという名前はエアーズロックリゾートとエアーズロック空港など一部の施設にのみ残っています。(なので私もウルルと表記します)

1985年ウルルを含む国立公園の土地は、その土地に遥か昔、何万年ほど前から住んでいるアボリジニ・アナング族に返還されており、オーストラリア政府に対して99年の賃貸契約中です。賃貸契約が終わった後、アナング族がどういう決断を下すのでしょうか。
もし契約を更新しないとなると、この土地にはもう来ることができないのでしょう。
何万年も前からそうであったように、この土地は彼らだけのものになるのでしょう。

アナング族の創生紀

ウルルという過酷な環境で何万年も前から暮らすアナング族。
彼らの世界の創生の物語では赤い大地以外何もないところにいろんな神様がやってきて、なんやかんや色々とあった結果、今の世界があるそうです。ニシキヘビの神様、カンガルーの神様、エミューの神様。いろんな神様がいて、アボリジニはその子孫だそうです。
アボリジニの文化は日本と少し似ていると思いました。圧倒的に自然環境が強くて、厳しくて、そんな自然を崇拝して、いろんなところに神様がいる。神様は気まぐれでよくわからないことをする。地形を巻き込んで怒ったり、間違えたり、悲しんだりする。なんやかんやの結果、今の大地や山や川がある。

全てものにはそこにある理由がある。
そうであるならば、私が9年前にウルルに来たことも、砕け散ったiPhoneも、こうして夫と一緒に再訪することにも何がご縁があるんじゃないだろうか。
神様にとっては、知らんがなかもしれないけれど、私にとっては救いとなっていたのです。

そして、また来ました!

2024年。
機体が旋回して、飛行機の小さな窓から大地の中にぽこんとある大きな岩、地球のへそ、ウルルが見えたかと思うと窓枠の外に消えてしまって、その後は再び殺風景な景色となったかと思うと、あっという間に着陸しました。

9年越しにこの土地に戻ってこられたのだと半分夢のような気持ちでエアーズロック空港に戻ってきたのでした。

最初にきた時から9年。

2019年のウルルの登頂閉鎖とコロナ禍を超えてどのように変わったのでしょうか。
変わらず何万年も悠然と横たわっているウルル・カタジュタと対照的に、きっと色々変わっているのだろうなと思いながら、念願の場所に夫と来ることができたのでした。

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