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青春から大人の一歩へ

いつも拝見させていただいているKANAさんから「思い出の曲について教えて欲しい」との問いかけがありました。

記事を読んで以降「ずっと書きたい!」と思っていたのですが、紆余曲折経て今日やっとお答えできそうです。いろいろあるんですけど、今になって沁みる曲がひとつ見つかりました。

それは、カーペンターズの「青春の輝き」です。

カーペンターズにハマっていたのは高校1年生の半年間でした。なんとなく洋楽聴いていると英語の成績が上がりそうだと思ったんです。それよりもハマったのはボーカルを務めるカレン・カーペンターの透き通った歌声だったんです。

はじめての電車通学。もちろん、学校には地元の同級生がいません。中学校そのものが荒れに荒れていたので、私としては好都合の環境でした。
定時制に通っていたので、部活がない日の午後は図書館へ行ったり街ブラしたりするなど自分の時間を過ごしました。当時使っていた携帯にやっとイヤホンが使えるようになったので、それで聴いていたと記憶しています。

当時は地元のしがらみから抜け出せた喜びでいっぱいでした。
憧れていた街を歩く喜び、自分を表現できる術を知った喜び―いろんな喜びを噛み締めて生活していました。それを体感したいがために22時に寝て朝5時に起きることも苦ではなく、ひたすらに楽しい学校生活を送っていました。
しかし、長年染み込んだ心の闇を消すことは容易ではありません。実際、今も苦しめられています。

「青春の輝き」はそんな闇を受け入れた上でひたすら反省するように聴こえました。
しかし、これは自責ではなく後悔の念に似ている感じがしたのです。歌詞の内容はあくまで恋愛にまつわる自分へのことですが、私には人生に関する後悔に思えてならないんです。

高校入学前までは本当に救いがありませんでした。
学校でも家庭でも、どこを見ても問題だらけ。上手くできませんでしたが、なるべく「普通」と合わせようとしました。
そうすると、一人でネットしている時間が唯一の安息になっていきました。

通うとはいえ、地元から離れることは大きな一歩です。「これからどんなことがあるのだろう」「自分はきちんとできるだろうか」―漠然とした不安が心のどこかにありました。
十代の多感な時期に人間の醜さをひたすら見せつけられたわけですから、他人にも自分にも信じられなくなっていたのです。

ですが、この曲を聴いているとちょっとだけ安心できる自分がいました。
「完璧である必要はない」と励まされているように感じるからです。

のけ者にされた私はどうにかして人権を得ようとしていました。
高校受験の対策をしたかったのに、つるんでいた同級生の言いなりになってピエロを演じざるを得なかった自分が嫌いでした。逃げても逃げても操り糸でつながっていたために逃げることができなくて、糸を切るために地元から抜け出すことに決めました。
「青春の輝き」は、糸が切れた操り人形の私に命を優しく吹き込んでくれたといっても過言ではなかったのです。

「青春の輝き」のPVには、ちょっとしたドラマ性を含んでいます。

夜の飛行機で考え事をしているカレンにそっとほほえみをくれる男性。目的地の空港に降り立つと、男性には来るのを待ちわびた女性と熱いハグを交わしました。それを見てにこやかに笑うカレンとリチャード…「こんなもんよね」とカレンはアイコンタクトでリチャードに話しています。
これこそが「未完成な世界で完璧なことは存在しない」(和訳ネタ。詳しくはググってください)を体現しているのではないかと思うんです。

だいぶ久しぶりに聴きましたがやっぱりクるものがありますね…
あれから13年経ちますが、私は未だ完璧なことを成し遂げようとしていますしのけ者にされた弊害がコミュニケーションの妨げになることもしばしばあります。
改めて聴いたらその後の人生を振り返りたくなる気持ちになりました。私はちゃんとまともな大人になれているでしょうか?

「青春の輝き」、今でも好きな曲のひとつです。

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