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抑圧した「大嫌い」と「大好き」
私は、対人恐怖は抱えながらも、これまで、対人関係をソツなくこなしてきた。
人から嫌われないように、細心の注意を払って立ち振る舞ってきた。
私自身も人に対してあまり「嫌い」と感じることはなく、
「苦手な人はいるけど、嫌いな人はいない」
っていうのが、ひそかに私の誇りになっていた。
嫌いという感覚がないかわりに
「あぁ、この人といると巻き込まれそう・・・。危険かも!」という私の肌にある“危機管理センサー”が働いた。
そんなときは、“顔はニコニコ、心には壁"・・・っていう、
目に見えないバリアを張って
関係性は壊さず、でもハートは開かずに
何とか表面を取り繕って生きてきた。
「温和で、誰とでも付き合えるゆみちゃん」
みんなからそう言われてきたし、自分でもそう思い込んできた。
だけど、最近、それもチャイルドの必死の『防衛』だったのだと気づいた。
大嫌いな子と我慢して遊ぶチャイルド
あるとき、セルフセラピーの中で、いじわるな子と我慢して遊ぶチャイルドと出逢った。
その子とは、幼稚園からの付き合い。
いつも、私に命令してきて、私は「いや」と言えず家来のように従った。
幼稚園時代、私の容姿をからかわれ、「太ってる子はお祭りに来ちゃダメ!」と言われ、本気にして泣いたことをぼんやり覚えている。
その子からされることを今まで私は「からかい」と認識してきたけれど、最近、私の内なるチャイルドにとっては「いじめ」だったのだとようやく気づいた。
その子から遊びに誘われると、断ることもできず、ただ「義務」のように遊んだ。
いつも5時になるのが待ち遠しくて、遊んでいる間、苦痛でしかたなかった。
顔では笑ってても、心はちっとも笑ってなかった。
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36260934/picture_pc_736e67f7cd7b66558d0a4793557cb843.jpg?width=1200)
そこまで我慢して遊んでたのは、母のためだったのだと、最近、ようやく理解した。
「いいこ」じゃないと、お母さんに迷惑をかけるから。
家同士の近所づきあいもあるし。
それに、私が「いいこ」じゃないと、お母さんがおばあちゃんからいじめられる。
そのチャイルドの定義は
「いいこ=我慢できる子」
長女の私は、「機屋(はたや)のゆみちゃん」という看板を、友達との関係性の中でも、こどもながら一身に背負って生きてたんだ。
そのチャイルドは私のなかで、いまだにずっと、我慢の世界に閉じ込められ生き続けてたのに、私は「もう終わったこと」にして置き去りにしてきた。
でも、チャイルドにとってはまだ終わってなかったんだね。
ごめんね。
「ほんとは行きたくない。
でも、嫌いなあの子のところへ何とか行かなきゃ!!」
小さなゆみちゃんは、まだ、ものすごい葛藤の中にいた。
チャイルドの本音がじわじわとあふれ出す。
「ほんとは、あの子が大嫌い!!!
あの子の家に遊びに行きたくない!!!
いやなことをされるから。
お母さん、ごめん。
もう、我慢できない」
母への罪悪感とともに、叫ぶチャイルド。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36201993/picture_pc_a70651bed5a5a1d625743e1974f3fca2.jpg?width=1200)
「大嫌いなら大嫌いでいいよ。
好きなふりしなくていいし、
好きになろうとしなくていいよ。
嫌いな子と遊ぶのは、本当につらかったね。
もう、我慢しないで、好きな子のところへ行っていいよ。」
ゆみちゃんのママとして、ゆみちゃんに伝える。
「お母さんに、〇〇ちゃんがわたしにいやなことをすること、一緒に怒ってほしかった。
もう知らないふりをするのはやめて!!!!」と、ゆみちゃん。
あーーーー、やっと言えたという感覚。
「大嫌い」を感じたら、「大好き」も思い出した
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36201792/picture_pc_6948d308da35a3f6cadd81d4b8be5701.jpg?width=1200)
それから、また、じわじわと思い出してきたのは・・・・
抑圧してた「大好き」という感覚。
そうだ。
ゆみちゃんが本当に遊びたかったのは、やんちゃな幼ななじみの男の子だ。
運動が得意なお調子者。
見た目もさわやかイケメンくんでクラスの女子にも人気があった。
本当は嫌だったけど、クラスの子に頼まれて、バレンタインのチョコを代理で渡しに行ったこともあったっけ。
私は、もう、そのころ、容姿にコンプレックスがあったし
「あの子とゆみちゃん、幼なじみなんだって」と女子たちから噂されてから、その子のことを避けるようになっていた。
なんかあまり感じないようにしてきたけど、「私、あの子のこと、大好きだったんだなぁ」と思い出したら、泣けてきた。
あの子のこと、大好きだったのに、私なんか好きになる資格ないって、感じないようにしてきたんだね。
大好きでいていいよ。
歪めずに、感じたまま、そのまま
大好きってきもち、もってていいんだよ。
「大嫌い」と「大好き」
だいぶ解放してきたつもりでいたけど、まだまだ、こんなにも、自分に制限かけて生きてきたんだなぁ、私。
自分のきもちを加工しない、
より素直な自分に出逢えたみたいで、愛おしくなる。
「もう自分にうそはつかなくていいよ。」
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36202036/picture_pc_6bb1e6e0e979d16864b90c8137becb91.jpg?width=1200)
ギューッと抱きしめる。
今まであなたをぞんざいに扱ってごめんね。
大好きは大好きで
大嫌いは大嫌いでいいんだよ。
素直なきもちをママに伝えてくれてありがとう。
最近、感情を取り戻してきて、ようやく「人間」になれてきた感覚。
知らず知らずに、私は神様になろうとしてたのかも。
もう、神様はめざさなくていいんだよ。
大好きは大好き。
大嫌いは大嫌いのまま。
私自身の素直な感情を認められたら
他人にもそれを許せるようになるだろう。
「私を嫌いな人がいても大丈夫」って。
わたしは、人間。
これからも、人として「生きる」ことを味わいたい。