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汚部屋脱出への道27【半生を語る。私が汚部屋になるまで・10代実家編】

こんにちは。
元汚部屋のゆるミニマリスト、きらりです。
今日もはりきっていってみよー(^▽^)/



◆ごあいさつと公式LINEのお知らせ。



お陰様でわたくし元汚部屋住人のきらりは、汚部屋脱出のサポートやお掃除のお仕事をさせて頂いてます。

個人宅や店舗の片付け・清掃、それらトータルでのアドバイス等をしています。もしご興味おありでしたらLINEからお問い合わせください♪

毎週土曜日に、汚部屋脱出のための応援メッセージを配信しています。

宣伝、以上!
これからもっと公式LINEを本格的に始動させたいのだけど、なかなか進んでおりません。。。
がんばります。

ということで、タイトルの内容、いってみよう。


◆汚部屋住人、汚部屋になるまでを語る


◇序文


今日からちょいと、包み隠さず私の人生や片付けられなさに向き合い続けた話をしたいと思います。。。
自分の半生を語ることになるからかなり勇気が要るのだけど…!!
本当に。コワイよ本当は。。。
でもね、リアルな体験談とパッションしか今の時代AIに勝てるものってないでしょ!?

そんなわけで、自分の生育環境や汚部屋の地獄っぷりもきちんと告白していく。こんな人もいるんだな~って、思ってもらえるなら。。

人生のライフステージが進むにつれて、自分の片付けられなさと苦しみの種類も変わっていったこととか、自分の職業の話とかもね。
汚部屋になっていった理由や、脱出すると心を決めた理由とも関連しているので。
恐ろしいけど、自己開示するって決めました。覚悟だね。
恥ずかし過ぎて黒歴史として始末したこととかも頑張って書きます。

そんなわけで今日は、私の生育環境やらの、10代について。

◇「家事なんてしなくていい」と母に言われて育った



母は、家事全般があまり好きではありません。
にも拘わらず、物心ついた時から24歳で実家を出るまで、私は家事をしたことがほとんどありませんでした。
私の母は私に家事手伝いをさせることを拒否していたんです。
二十歳くらいの時、私も家事を何かやるよ、と声を掛けたところこう言われました。

「女の人は結婚したら嫌でも家事しなきゃいけないんだから、実家にいる間は何もしなくていいのよ」

複雑な気持ちがしました。
男尊女卑的なものも感じたりして…。


母の家事はほぼワンオペでした。
家事だけではなく、子育てもいわゆるワンオペ。
父もできる範囲で色々やってくれてはいた。けれど、食事を作ることも掃除をする事もありません。

片付けが苦手な母に、父はいつも苦情を言っていました。
それならお父さんがやれば?と提言すると、「それじゃお母さんの仕事がなくなっちゃうでしょ」と返されます。
専業主婦ならともかく、母だってパートとはいえ働いています。

片付けることも、掃除することも、料理を作ることも、全てが母任せ。
どう見ても母の負担が偏っていました。
それは子どもの私にとっても、少し歯がゆいものがありました。
母は夫の親族からも多大なる迷惑を掛けられていた事なども重なって、私の中で男尊女卑的な家族観への強い怒りが形成されていきました。
(この怒りの感情が、後の結婚後の自分を大いに苦しめることになりました)

おそらくですが、母は家事が「好きではない」というより、苦手です。
料理の盛り付け方はとてもきれいだけど、作ることは好きじゃない。
水回りはきれいにしておきたいと言うけれど、部屋は埃まみれ。
料理も掃除も片付けも、全部が義務で嫌々やっている感じ。
家事=大変、という認識です。

私が中学生くらいの頃からかな。
いつもリビングの定位置に座り、仕事に関する日記をつけたり、何かに困っている誰かのことを考えたり…そんな姿が記憶に残っています。
母のつけている日記はびっしりと文字で埋まっているんです。
もう真っ黒笑
自分の世界が強い人なんでしょうね。考える事が好き。
変なところで丁寧過ぎる部分もあります。

小学生の頃は、よそのお宅に遊びに行くとみんなのおうちが輝いていることにびっくりした思い出があります。
なんか、キレイだなって。
みんなのお母さんはきっと、専業主婦で潔癖症で暇人なんだと思いました。
こどもは、親の事を無条件で愛そうとする生き物なんでしょうね。

一応父の名誉のためにも言いますが、父は決して、家庭をなおざりにする人ではありませんでした。
子どもをキャンプに連れ出したり、夏休みの宿題に付き合ってくれたり、きちんと愛情を行動で示し、こどもの私から見てもたくさん良い面がありました。
実際今の私の子育てにもその時与えてくれた経験がとても生きています。

けれど、家事だけはなぜかやりませんでした。
母の方に、やらせる気がなかった、というのがもしかしたら正確なところなのかもしれません。
お父さんは何もしない、と母は私によく愚痴っていましたが…。


私が中高校生くらいの時の母はよく座ってボーっとしてはいたものの、とはいえ一方で間違いなく妻として母として、身を粉にして頑張ってきた家庭生活だったと思います。
特に私が小学生の時期は、諸事情あって、母は朝も昼も夜も人様のために奔走していました。

やがてそういった負担もなくなり、自分も大人になった時、気付きました。

母の家事分担100%、家族4人。子どもは子どものまま。
母のまとめ買いや捨てない習慣の結果として家はモノで溢れていました。
長い事掃除されていない場所がたくさんあり、そこらじゅうに埃が積もっていました。
絶対にもう使わない教科書、どっかの結婚式の引き出物の置物、プレゼントを包んでいた包装紙…
本人にとってどうでも良いはずのモノが、そこらじゅうに出たまま何年も経っていました。


◇家事能力ゼロの大人、爆誕。


そんな風にして育った私は、大人になっても家事能力ゼロでした。
思えば、小学生くらいの頃から家事に関して何も知らずに育ったのだと思います。やった記憶が無いです笑( ;∀;)

それと、家全体に少々ルーズな雰囲気がありました。
正直、仲の良い家族かと言われるとそれも疑問でした。
食事の時間も内容もバラバラな個食、孤食が当たり前。
夕飯が要るのか要らないのか母に連絡する必要などないと高校生の頃から思っていました。
今の私からしてみたら、とんでもない話です。

けれど母からは一度も、今日の夕飯の要不要の連絡が欲しいなどと言われることはありませんでした。なのでずっとそういった、家事の担い手の事情が分からぬまま大人になってしまったのかもしれません。
お母さんへ連絡する友人のことは、内心マザコンだと馬鹿にしていたくらいです。

私は学校に毎日遅刻。部活動もせず、バイトに明け暮れました。
弟は中学の頃から不登校気味に。やがて引きこもりになりました。

私が19歳くらい、高校を卒業して専門学校に行くようになったあたりから、だんだんと私の部屋がごちゃつき出します。
在宅時間が減り、買い物が増えた時期と完全一致します。

捨てることは悪であるかのように躾けられた私は、モノを捨てる行為を一切しませんでした。

おそらくその頃からですが母は、私の部屋に立ち入って掃除しなくなりました。
年齢的な私の自立を願って…だとは思うのですが、それと同時に母自身もますます家事へのやる気を失っていたから、という一面もあったように思います。
母は、以前にも増して他人(私以外の家族や人間関係)のことで悩む時間が増えていました。

けれど相変わらず家事は母だけがひとりで背負い続けていて、且つそれが母の望みでした。
ワタシに家事をさせたくない、と。
それが母にとっての愛情だったのでしょう。

けれど、それらは我が子の生活能力を奪うという結果になりました。
生活能力は生きる力、生きようとする力と密接につながっていると思います。
私と弟は当時、とても生きる力の弱い人間でした。

でもね、父と母には感謝しています。
それでも育て上げてくれたわけですから。。。


まぁそんなわけで、料理できない・片付けられない・掃除を知らない
私はそんな大人になりました。
炊飯器のスイッチを押したこともなければゴミ出しもしたことない。洗濯機の回し方も知りませんでした。

こうして書き出すとマジで重症だな~!!
ヤバいだろ~、ゴミ出したことないとか笑


ではでは、今日はこの辺で。
こんな感じで育った私はこの後本格的に汚部屋に突入していきますよ~笑
乞うご期待。(どんな期待!?)






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