動き、回る、記憶
「あの時から時間が止まってしまった」
確かに喉の辺りに重い石が詰まっているような、飲み下すことのできない思いがそこにはある感じがする。
そして前にも後ろにも進めない時間を生き続ける。
だからといって、今を十全に生きているというのではない。
どこにも行けない、ただそんな場所に閉じ込められてしまうのだ。
記憶をたどるとき、発せられる言葉には少し熱がある。
まだ終わってない思いがずるずると引きずり出されて目の前に現れる。
心地好いとは言いがたいその時間に再生されるのは今も蠢いている動的な記憶だ。
記憶は思い出すという行為によってその瞬間に立ち上がるものなのかもしれない。
記憶は過去の遺跡のようなものではなく、思い出す度に息を吹き返し甦る生き物のようなもの。
過去の記憶から自分を奪還する。
止まっていた時間を動かせるのは、自分以外に誰もいないのだから。
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最近、記憶というものの取り扱い方について、いろいろ思いを巡らせている。それは年老いた両親との会話の中で過去の思い出が書き換えられていくような体験をしたからかもしれない。自分の思い込みだったり、幼少期の思い出を親が自分とは全く違う角度で捉えていたりもして、記憶というものの危うさと頼りなさにも気づかされる。一方で記憶の強固さというか、まるで心にこびり付いて剥がれないしぶとさを感じたりもする。また少しずつ言葉にしていこう。