SS【冬の桜】#シロクマ文芸部
小牧幸助さんの企画「桜色」に参加させていただきます☆
お題「桜色」から始まる物語
【冬の桜】(1358文字)
「桜色が見える?」
母がそうつぶやいて立ち止まる。
二月の桜並木は骨格標本がズラリと並んでいるみたいで少し怖い。だから私は、つないでいた母の手を引っぱったけど、母は立ち止まったまま桜の木を見上げている。
「おかあさん、もう行こうよ。寒いし」
「なによ、今日は暖かくて散歩日和よ」
「花が咲いてない桜なんか、見てもしょうがないよ」
私がそう言うと、母は少ししかめ面した。
「なんか、とは何よ。桜色が見えないの? よく見なさい」
「桜色なんてどこにも見えないよ」
目をこらしたって、枯れたような枝ばかりだ。
「あなたにあげたスカーフも桜色だったでしょう?」
「うん」
「あれは、剪定された桜の小枝から取り出した色で染められているのよ」
私はびっくりした。去年の誕生日に母からもらったスカーフは淡く美しい桜色で、私のお気に入りだった。
「桜の花で染めたんだと思ってた」
「あのきれいな色は、花が咲くまでは木の中にあるのよ。外からは見えなくても」
母は、桜の木にそっと触れた。
「冬の間もお日様や土から養分をもらって、木の中で桜色を作ってるの」
私も母を真似て木に触れた。乾いてゴツゴツした樹皮の感触。
「中に工場みたいなのがあるのかなぁ」
「さぁ……不思議よねぇ」
私は目を閉じて、桜の木の中で桜色が作られる様子を想像した。
根っこから吸い上げた水と栄養をよーく混ぜて、お日様の熱で温める。それをくるくるかき回しているうちにきれいな桜色になる。そしたら瓶につめて小枝の方に運ぶのだ。
春が来て、その瓶のフタを開けたら一斉に花が……。
私は目を開けて、もう一度桜並木を見た。さっきまで骨格標本にしか見えなかった桜の木がちがって見える。たった今、このすべての木の中で桜色が作られているのだ。
「おかあさん、桜色が見えた……」
「おかあさんにも見えるわ」
私たちはその瞬間、満開の桜の下に立っていた。
冬の間、誰にも知られずに静かに作られていた桜色が、花となって一斉に咲いている。
二月の桜並木でお花見をしたのは、私たちくらいかもしれない……。
母が腰をかがめて私の耳元で言った。
「ねぇ、『咲き誇る』って言葉があるでしょ?」
「うん」
「おかあさん思うんだけど、桜は『誇って』なんかいないのよ。ただ咲いているの」
「うん」
正直に言えば、母がなにを言っているのか、その時にはよくわからなかった。でもそれはいつまでも私の心に残った。
……思い返せば、母は冬の桜のような人だった。
父がいないせいで貧乏暮らしが続いたけれど、グチひとつこぼさず私を育てるために働いてくれた。そのおかげで私は大学にも行けたし、今は染色というやりたい仕事もできている。ブランドを起ち上げ、最近では全国から草木染の注文が入る。賞をもらった作品は美術館にも展示されている。
でも、つい鼻高になりそうな時に母の言葉を思い出すのだ。
……「桜は『誇って』なんかいないのよ。ただ咲いているの」
私は母に咲かせてもらった花として、ただ咲いていたい。
「おかあさん、それきれい」
タンスの引き出しをのぞき込んで、幼い娘が私に言う。
「これはあなたのおばあちゃんが私にくれたスカーフよ。冬の桜が作った色なの」
「さくらいろ?」
「そうよ」
もう少し娘が大きくなったら、あの日みたいに二人で冬の桜並木に行こう。そして母から聞いた話をして、見えない桜色を見つけよう。
おわり
© 2024/3/24 ikue.m