見出し画像

闇なのか、自分の影なのか

一定期間ののち削除するかもです。

その人が抱えている闇ってなんだろう。


私は自分の家族環境周りにあまり触れてこなかったけど、そこも含めて人に話したくないことがいくつかある。

よく「生きづらい」とか「自己肯定感が低い」とかあるけど、程度問題なんて人と比べるものじゃないからよくわからない。

そんな1人語り、今日は闇を少し吐き出すので、同じ感じで辛い人は読まなくていいかもしれない。
あといつものテンションでは最後までいかない。




私はもともとかなり若い時からPMSがひどくて(その時にそんな言葉はなかった)、
のちにきっとPMDDだったんじゃないかと思ったほどだ。

もしくは今で言う適応障害とか躁鬱とか、
診察を受けたらなにか診断がくだったのかもしれない。
(他者に対してのあてはめではないです)




私は機能不全の家庭で育った。




私はかなり社交的だと思う。
女友達は極度に少ないけど大切な親友もいるし、
男友達も多くわりと誰とでも仲良くなれる。
いわゆる陽キャ代表としてここまできた。

顔も派手だし、おしゃれもすきだ。
1人でいることも厭わず、群れは嫌いだ。

勉強もよくするし、社会的な立場もそこそこあるし、刺激が好きだ。
自分の内と向き合うのはあまり意味がないと思っている。

他者の良いところを見つけるが得意で、
程度に合わせた話し方もできると思う。
どの世代と話すのも苦ではない。

なのに私には大きな闇があるのだと思う。
それがときどきつらい。



もともと避妊目的で飲み始めたピルは、PMS(またはPMDD)によく効いた。
だから長年飲んでいる。

それでも闇は来る。

わかっている。


両親に愛されなかった私が、
今も愛されない私が、
他の人に愛されるわけがないという私の思い込みだ。

でも呪縛はきっと消えない。
もう恐ろしい年月を、この感情にかけている。
向き合ったり、かわしたり、見ないふりをしたり。




私は両親には愛されなかったけど、周りには恵まれている。
リアルの世界でも、この世界でも、本当に。
だから心配をかけるわけにはいかない、
私が弱くなるとみんなが心配してしまう。
役割をこなした方が楽なことは多いのだ。

そしてまやかしの膜を剥がした時、
やはり愛されない自分がいると思ってしまう。
その感情に蓋をして眠る。


希死念慮はない。
(学生の頃はやんわりあった)

ただどんなに頑張っても頑張っても、自分がOKを出せない。
だいぶ年月をかけて周りの温かい言葉もあって緩和された気もするけど、油断するとぬるっとその感情が入ってくる。


お酒を飲んだ時や生理前は危険。




たとえばお酒を飲む時、
推しくんとのつきあいや
買い物ばかりお金をかける時
(借金はしてないけど、せっかく稼いでるのになぁ的な)
わざと自分を痛めつけてるんじゃないかと思う時がある。


この私を知ってるのは男性女性ともに親友1人ずつ。
この2人は心から私を尊重して、愛してくれている。
なのに私が自分を許せない。
それがつらい。




1年間の予約待ちののち、
初めて先週公認心理士(長年臨床心理士)のカウンセリングをうけた。
長年の病院勤務を経て、カウンセラーとして独立された方だ。



学生のときの親とのエピソードの中で、
「その瞬間初めて戦われたのですね。よく戦われました。」
と声をかけられた時、はじめて他人の前で泣いた。
あの頃の私が少しでも救われたらいいと思う。


来週から、少しずつカウンセリングを続ける。
きっと誰も、私がそんなことを始めたなんて信じない。

でも私は親との関わりではなくて、
今後気持ちの上での自由を手にしたい。
本当の意味で強くなりたい。


私が今戦っている正体が何なのかは、まだわからない。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?