〈三春町への旅2024②〉凛然と蓮が咲くお寺〜宝蔵寺へ
ちょっとまえがき
〈猪苗代町への旅2024〉〈会津若松への旅2024〉を書きながら、同時進行で書いていた〈三春町への旅2024〉。
本当は毎日1記事ずつUPして、note連続投稿、#毎日noteを付けたかったのですが、ガバッと一気に投稿することにしました。
なんとなく気分的に、4日(日)までに、これまで書き溜めた記事をUPして、一度仕切り直したい。そんな気分になっています。
今の私は「毎日が夏休み状態♪」。
時間はたっぷりありますが、来週からはどうなるか分からない。下手すると、明日もどうなるか分かりません。
だったら、一気に上げちゃえ♪そんな感じです。
それでは、ここから〈三春町への旅2024〉②をお送りします♪
〈三春町への旅2024〉①はコチラ↓
蓮の花が浄土へ導く風景を求めて、宝蔵寺へ
三春町の田村大元神社の祭礼で奉納される、新町の長獅子を見るため、7月14日(日)、三春町へ。
今回はドコン、ドコンと電車旅。三春駅で降りて、三春交流館「まほら」まで、テクテクと、街歩きを楽しみながら歩いて、一休み。
その後、蓮を見る(撮影する)ため、町内で最も古いお寺であり、東北有数の蓮の寺院として知られる宝蔵寺へ向かいました。
宝蔵寺さんの公式サイトはコチラ↓
地元誌で蓮に関する記事を拝見してから、ずっと行きたかったのですが、なかなか予定が合わず、毎年見頃の時期を逃していました。
蓮の名所は他にもあるけれど、「お寺と蓮」という取り合わせが魅力的です。蓮の花が一面に咲く、極楽浄土のような光景が広がっているのでは…と期待(実際は池ではなく、鉢に植えられているため、イメージ通りに撮影するのは、ちょっと難しかったです)
「まほら」を出て、「おまつり道路」と名づけられた三春町大町前の県道40号を西へ(途中県道28号に合流)。
宝蔵寺さんは、道路の突き当たりの、やや小高い場所に位置しています。
ここからは写真を中心にご紹介♪
石段を登ると、蓮が見えてきました!
まだ蕾も多かったのですが、ピンクや白の気品ある花を拝むことができました。
一番の見頃はいつ頃なのでしょう? 昨年は電話で問い合わせましたが、すでに見頃は過ぎていました。
蓮の花といえば、やはりピンクです
八重咲きの「琴台歌手」。ちょっと芍薬っぽいかも?
本堂を入れて撮影してみました。
花びらの先だけ、ほんのりピンク色の可憐な一輪
気品ある白。名前は「真如蓮」
蓮を撮影中、ふと視線を上げたら、墓地の上の丘に群生するアジサイとヤマユリの姿が…。可憐な風情に誘われ、眠りにつくみなさまに「失礼します」とご挨拶して、墓地の中へ。
三春町最古の古刹、宝蔵寺
ここからは宝蔵寺そのものについて、記します。
郡守山田村院 宝蔵寺は、時宗の開祖・一遍上人を継いだ遊行二租他阿弥陀仏真教小人(ゆぎょうにそたあみたぶつしんきょうしょうにん)が正応2年(1289)に開山したと伝わる、町内で最も古い寺院です。
ご本尊は享保11年(1726)の作と伝わる阿弥陀如来坐像。胎内には鎌倉時代の作と推定される高さ22cmの木造阿弥陀如来坐像が納められているそう。また、観音菩薩、勢至菩薩の立像が脇侍として配置されています。
そのほか、木造彩色の地蔵菩薩立像があり、「甘酒地蔵」とも呼ばれ、同じく木造の不動明王像とともに、古くから地域の人々に篤く信仰されているとか。
地蔵菩薩や不動明王も拝みたかった。
ここからは本堂の彫刻の写真を数枚。
蓮? 牡丹かも?
三春町は江戸時代に城下町だったこともあってか、街なかに神社仏閣が点在しています。宝蔵寺さんは、比較的平坦な場所に位置していますが、もともと谷間に開けた山間の地形であることもあり、その多くが街を取り囲む小高い丘に位置しています。
現在は点在する神社仏閣を結ぶ多彩な散策路、遊歩道も整備されています。
姉妹ページ「まひろ」で、ちょこっと紹介していますので
よろしかったらご覧になってください。
◆愛宕神社・龍隠院
◆王子神社・北野神社
三春藩では正保2年(1645)、秋田氏が三春城主となると、町内は6つに分割され、それぞれに鎮守の社が定められました。
戦国の時代は、田村氏(伊達政宗の正妻・愛姫の実家でもあります)の領地だったことは知られていますが、それ以前は、どんな町だったのでしょうか?
……などと書いていたら、妄想が膨らみ過ぎました。これについては、後日アップしたいと思います。
〈三春町への旅2024〉③に続きます♪
いただいたサポートの半額は地域の小さな祭りや伝統行事を守る保存会に寄付し、残りの半額は取材にかかる交通費や宿泊費に充てさせていただきます。よろしければサポートお願いいたします。また、収支は定期的に発表いたしますm(_ _)m