〈会津若松への旅2024〉②福島県立博物館〜なぜか心惹かれる奥会津のむかしの暮らし
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企画展「縄文DX」を見た後は、総合展示室で、福島県内の古代史をたどりたかったのですが、残念ながら現在総合展示はお休み中でした。
来年の再開を楽しみにしつつ、分野別展示の民俗のコーナーへ。
現在の展示テーマは「雪国の暮らし」。シアターは音響不良により映像のみの上映でしたが、三島町のサイノカミの迫力ある映像を見ることができました。
他には、マタタビやブドウヅルなどを使い、奥会津でつくられているカゴやザル、カバン、雪国の暮らしに欠かせない縄で編んだ雪靴などが展示されていました。
なぜか惹かれる奥会津の昔の暮らし、雪深い地域の暮らし。
私は適度に便利な今の生活に快適さを感じていますし、雪は正直得意ではありませんが(寒いの苦手)、なぜか奥会津の人びとの暮らしに惹かれます。
奥会津は土地自体が痩せていて、檜枝岐などではお米が栽培できず、その分、そばの栽培がさかんになったそう。
それから、地域にある天然資源(ブドウヅルやマタタビの皮、ワラなど)を使ったものづくり。
「与えられた自然の恵みを生かして、暮らしを便利にする」とまとめるのは単純すぎるかもしれませんが、「自然の中で生きる」「暮らしの知恵」に惹かれるのかも…?
だからといって、「そういう暮らしが理想!」とか「そういう暮らしをしたい!」、ましてや「人はそういう暮らしをするべき!」とは全く思いませんが…(でも、数ヵ月なら体験してみたい気がします)
展示の中にはなかったけれど、山人(やもーど)料理も体感したいし、できれば狩猟もしてみたいです(マジか!)
それから昭和村のからむし織や檜枝岐の歌舞伎、金山町の花火、朝早く起きて只見川を見たり、圧迫感さえ感じる山並みにかかる雲を見たり、雪おろしをしたり、雪の中でこごえたり…だからこそ春が待ち遠しかったり(これはあくまでイメージですよね。そんな生やさしいもんじゃない!というお声をいただきそうです)
それから、山間の集落だからこその民俗や宗教。なかなか頭に入ってこないのですが、学んでみたいです。
暮らしの中から生まれた奥会津の編み組細工
ここからは展示の写真を中心にご紹介♪
ヤマブドウやアケビを使った奥会津の編み組細工から。
どれも芸術的な出来栄えです。
右から
ヤマグワを摘むときに腰につけて使う「クワつみカゴ」
野菜などを入れる手さげ付きの「アケビカゴ」。アケビヅルは硬くて丈夫ですが、編むのに技術と力が必要とされるそう。
山漆の木を裂いて、薄くして編んだ「漆ザル」。漆の編組細工はめずらしいのだそうです。
山に入るとき背負っていったヤマブドウカゴ。山菜などを入れたそう。この技術を活かして作ったトート型の手さげが女子に大人気♪
こちらのバッグは「コシコ」というそう。
シナ皮で作られた袋状の入れ物で、これも背負って山菜取りに使ったようです。
丁寧に編まれたマタタビのざる。説明を読むと、キッチン用品だったよう。
どれも、日々の生活の中で、「こういうのがあると便利だな♪」という思いから生み出されたもの(あるいは伝わってきたもの)。身近なものを材料として、生み出されたものです。
下の写真は会津の郷土料理。ニシンの山椒漬け、会津若松のこづゆなどの食品見本が展示されていました。
料理の背後に展示された紫色の袋状のものは、ゼンマイ採取用の衣服「クモッケツ」。採取したゼンマイを袖の袋に入れて使うそう。尻が蜘蛛のようにふくらむことから「クモッケツ」と呼ばれるようになったとか。
糸の模様が美しいサシコバンテン。
これは南会津町の旧南郷村を中心につくられていた「南郷刺子」の木綿の衣。途絶えていた技術を再現し、昭和60年に製作したものだそう。南郷刺子の技術は今も受け継がれているのでしょうか?
私たちはどこから来て、どこへ行くのか?
中央が三島町の「サイノカミ(どんと焼き)」
その隣が会津若松市で春の彼岸に奉納される「会津彼岸獅子」の衣装
その右がわらで編まれた「お人形様」。
中通り(福島県を縦に三分割した真ん中の地域)に住んでいると、「お人形様」と聞くと、ついつい「田村町船引のお人形様」を思い浮かべてしましますが、お人形様は新潟や会津にかけても点在しています。
会津では、2月2日前後に村境を守る魔除けのわら人形をつくり、百万遍(数珠ぐり)をおこなう集落があるそうです。
下は会津彼岸獅子の頭部。
そういえば、この獅子舞も以前から「見たいなあ」と思いつつ、見ていない民俗芸能の一つ。来年のお彼岸は見に行きたい!
会津若松市を中心につくられている民芸品。
張り子の「会津中将」その左が有名な「赤べこ」、右が「会津だるま」。
会津でも昔はだるまがつくられていたこと、今回はじめて知りました!
他の張り子同様、一度途絶えてしまいましたが、近年復刻の動きがみられるそうです。ぜひ復刻してほしい!
東北のだるまは縦長で、最初から両目が入っており、関東系のだるまは丸くて、両目が入っていないのが特徴とされます。
福島県はその境界線に位置しているらしく、福島県南部にあり、茨城県との境界に位置する白河市の「白河だるま」は関東系。県の中央部に位置する三春町の「三春だるま(高柴だるま)」は東北系。
三春町より北に位置する福島のだるまも東北系。
いわきのだるまは少し丸いカタチの関東系?
最近復活した双葉だるまは東北系の影響が大きい気がします。
会津だるまは、やはり東北系でしょうか?
だるまや張り子人形もそうですが、県内各地に残る三匹獅子がいつごろ、どんな人びとが、どんなルートでもたらしたのかに興味があります。
県内の民芸品のルーツを探る旅も、今後もテーマの一つだったりします。
一番興味があるのは、郡山市高柴デコ屋敷の「デコ人形」(木偶人形が転訛したもの)と呼ばれる張り子人形です。
この人形が仙台市の堤人形(こちらは土人形)の影響を受けていることはわかっていますが、では、堤人形を仙台に、そして高柴にもたらしたのは、どんな人びとだったのでしょうか。
縄文土器の展示でも「縄文時代の地域間交流」がテーマの一つになってしましたが、わたしが惹かれるのは「人とモノはどこから来て、どこへ行くのか?」なのかもしれません。
今回ももれなくエピローグつき。
もう少しおつきあいくださいm(_ _)m