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ディーン・フジオカさん似イケメンと再会して、トイレットペーパーの芯がどうのって思った夜
トイレに行った。
丸の内のカフェにある、男女いっしょの化粧室だ。鍵が閉まっていたのでしばらく待っていると、俳優のディーン・フジオカさん似のメンズさまがでてきた。背が高くてスーツが似合うったら、ありゃしない。灰色の扉の化粧室さえ極秘情報を統括し指示をだすミッション司令室に見える。
でも、トイレに入って落胆した。トイレットペーパーの芯をかえずに放置したままになっていたのだ。会社員時代のお局さん的女性の顔が浮かんだ。彼女は、なぜかわたしが犯人だと決めつけ「トイレットペーパーが終わったら、次の人のために芯を捨てて新しいのを入れてあげないと。お母さんに教えてもらわなかった?」と怒られた(やったのは、わたしではないのにー!)
あのお局さんがいたら、なんと言うだろう。なんて思いながら新しいトイレットペーパーと交換した。
先ほど出てきたメンズさまはトイレットペーパーを使わなかった可能性もある。
でも、もしかして彼が放置人なら、ちょっと嫌だなと思ってしまう自分にモヤモヤした。次の人のために考えて行動できる人であってほしいと、赤の他人に願ってしまう自分。わたしって、そんなにえらかったっけ?
そんなことを考えながら、化粧室を出て仕事先に向かった。
するといたのだ。
ディーン・フジオカさん似のメンズさまが。
えええ、なになに同業者さん?声かけてもいいの?
いや、でもトイレットペーパーについて話しても仕方ないし、なんて思いながらおとなしく仕事関係者と話をしていた。
その判断は正しかったよ。
彼は某大手企業で、ある賞を受賞した超頭脳派エリートくんでありクライアント側の人だったのだ。トイレットペーパーの芯について話している場合ではなかった。
ああ、よかった。
と先日のことを思い出したのは、湯船から上がったときだった。
日中、風がひんやりして背中を丸めながら過ごした。だから、ひさしぶりに湯船にお湯をためてお風呂に入りたくなったのだ。温泉の入浴剤を入れて。ううん癒された。
自宅にいながら温泉郷気分になれるなんて、贅沢だよね。首まで浸かってぽかぽかだ。
でてからも、ずっと半袖で過ごせた。これが「芯まであたたまる」ということか。芯さいこー、芯を大事しなきゃ!となって、ディーンさん似のメンズさまが脳裏に浮かんだのだ。芯つながりで。
で思った。
芯って、厄介だよな……と。
見えるようで、見えない。ポキっと折れてしまうこともある。
わたし自身の芯も脂肪と欲にまみれてさっぱりケントウつかない。国語的な解釈で物事やストーリーの芯を捉えることはたやすくできても、人間の芯の芯の芯なんてマグマみたいなもんで触れたら火傷してしまいそう。
実際には、中身はある。中身があるってことは、芯になる部分があるってこと。
だから本質を見ようとしたり、この人の芯の部分ってなんだろう?と想像したりすることは、無駄じゃないはず。
物理的にあたたかいお風呂に入るとポカポカして、さっきまで寒かった部屋でも半袖で過ごせる。芯があたたまるって表現されるあの現象。これって、本当しあわせだよね。見えないのに、確実に自分を変えて幸せにしてくれる。芯がどこにあるか、どんなものかもわからないけれど、あたためてあげるとわたしの全部がよころぶことだけはわかる。だからきっと芯は、放置するよりも労ってあげて大切にしたほうが豊かに暮らせるんだろうな。
同様に、自分や他人の曲げたくない部分も尊重できたらすてきだし。トイレットペーパーの芯も「最後までありがとう」と使って、捨ててあげられたらよいなあと思う。芯を大事にすることは、その人やモノを尊ぶことなんだなあと。
湯船であたたまった身体を感じながら、そう思ったんだ。
(追記)
この文章のなかで、ディーンさんの名前をだすことに悩みました。わたしの中で、あの男性を見たときに浮かんだことなので正直に書こうと思いました。
また、念を押して伝えたいのですが、男性がトイレットペーパー交換をしなかったか否かはわかりません。その方がしていなかったと決めつけてのエッセイではないのでご了承ください。