198405 クレタ島へ連れて行ってくれた叔父 13文
S叔父さん、ご無沙汰しております。5年ほどお会いしておりませんが、お元気だとお聞きしております。2022年11月19日に芦屋の竹園旅館で、叔父さんの甥姪が集まり米寿を祝う会を開くと聞いて、そこに行ってお会いすることを楽しみにしております。
S叔父さん、A叔母さんとの思い出と言えば、1984年5月に一緒にギリシャに連れて行ってもらったことは忘れることはできません。二週間のオリジナル旅行の中で、地中海に浮かぶクレタ島やロードス島への船旅は大人の優雅な旅を体験させてもらいました。
私が幼少のころから、叔父夫婦には子供がいなかったからかもしれないが、可愛がっていただいた。叔父夫婦にとっては、私を含め甥姪はみんなわが子だったのかもしれない。大学受験の時叔父の家から入試に臨んだ、就職してからもよく飯を食べに、また飲みにも連れて行ってもらった。新車のイタリア車をローンで買う時も保証人になってもらい、いろんな場面で助けてもらったことは本当に感謝している。
叔父夫婦のおじ・おばにあたる方々20人ぐらいを関西から東京旅行に叔父夫婦がご招待された時、東京で大学生だった私も、貸し切りの はとバスに乗りご一緒させていただいた。「小さい頃におじ・おば達には本当にお世話になったので、今恩返しをしているんや」と叔父が言った言葉が胸をつく。私は叔父叔母にほとんど何も返せていない。本当に情けない人間なのである。
私の兄は、母を含め家族と叔父叔母も一緒に上海や台湾、香港に旅行に行っている。たまには私も一緒に行くこともあった。日本では焼津にも私の家族も連れて兄の家族と叔父夫婦みんなで行った。私の大学の同級生が営んでいる焼津で一番のホテルに泊まり、準備してもらった卓球台やカラオケをやりながら楽しい時をともにした。次の日、みんなで行った貸し切りの鮨屋で口にほうばったにぎり寿司は今でも美味しかったと女房と話すことがある。
兄から「叔父に胃ガンが見つかった」とLINEが来る。胃カメラの写真を送ってもらい、消化器ガンの専門の外科医である息子にみせる。「転移していなければ手術だが、もっと情報がないと何とも言えない」米寿を祝う会の一週間前に、担当医から検査報告があるとのことなのでそれを息子にみてもらうことにする。
祝う会の連絡を開催日の三週間前にもらい、早速地元浅草で、めで鯛と鶴梅の叔父の祝う会の名入れの手ぬぐいを参加人数分注文した。叔父へのプレゼントは叔父と私の名入れを職人さんが手書きした合財袋を三越本店で注文した。
あと、二週間ほどで叔父と会える。何を話そうかと思うが、思い浮かばない。顔をみてにっこり笑えるかも心もとない。笑顔で会えるように 2022.11
2022.11.19
叔父と会う。美味しそうに芦屋の竹園の大好物の神戸ステーキを食べている。ヘルパーの方が言っていた。「お粥しか食べないが今日はすごいと」。
まだまだ元気でいてください。東京へ帰る新幹線で思った。
2024.6.30
兄夫婦と私で東京から新幹線に乗り、芦屋に向かう。三日前に亡くなった叔父のお通夜に出るためだ。「もうだめだ」とお医者さんに言われて二年が経っていた。一年前に会いに行ったのが直に話した最後であった。
私が幼い時から60歳を過ぎた今までの、叔父叔母夫婦の思い出がフラッシュバックされていく。叔父の眠っている姿をみて、まだ息をして今にも目が覚めそうな寝顔であった。いつまでも私の心の中にフラッシュバックはあり、これからも叔父叔母と会話していくことであろう。
安らかにお眠りください。 合掌。