経験値が必要
昔聴いていた音楽が懐かしいという気持ちと、ふとした思いつきでもう一度聴こうと思いつき聴いてみた。そう、もちろんYouTube。
ああ、やっぱりいいなかっこいいなぁと思って聴いていてそれが何年前かなんてその時は気にしていなかったんだけど、よくよく考えるとたくさん音楽を聴いていた時から、もうすでに20年経っていることに気付いた。(!!)
そこでピタッと何かが僕をストップさせて僕は硬直してしまった。
え。あれからもう20年にもなるのか。
そりゃそうだなぁ。数えてみるとそんなようなものか。
しかし意識していないと時とは無情にも素早く過ぎ去っていくものなんだなぁ。
20年と言えばひとがひとりオトナになる。
こないだ生まれたなぁなんて思っていたあのガキンチョが、ニョキニョキとたけのこみたいに大きくなって、やれお酒を呑みだしたり、女の子と一緒に歩くようになったり、お母さんに反抗するようになったり、政治家になろうとしたり、ひとりで外国に旅行に行ったり、タバコを吸うようになったり。とオトナと言われる行動をし出すのだ。 タバコはできれば吸わない方がいい。
あらまぁ。すごい。
そう、オトナになるということはそれだけ誰かは賢くなるし、誰かはこどもを産んだりして家庭を築く。お金を稼いでリッチマンとかになってるかもしれないし、どっかのバンドでロックンローラーとして活躍しているかもしれない。
えー。すごい。すごくすごいじゃないか。
じゃあ。
とだいたいそれを聞いてある程度のオトナが思うのが、その間に自分も成長するチャンスがあったはずなんだけど、自分は成長してるのかな?
と思うのだ。
うーん。成長してないなぁと思ってしまうのだけど、この機会にまた自分のことをよくよく考えてみると、案外成長しているものでそんじょそこらのガキンチョにゃあ負けていないのである。
「亀の甲より年の功」なんて言ったりするけど、やはり時間はそれぞれ均等に与えられているから、ガキンチョが僕よりも、いろんなことに経験豊富だなんてことはありえないのだ。
ガキンチョは成功しているかもしれないけど、僕はその分失敗しているし、落ち込んだり絶望だってしている。
ガキンチョが感じられないようなダークなお仕事の一面を僕は見ているし、ひとの冷たさもじっくり見ている。
その点では僕は、合格や成功して喜んでばかりいて、ウカウカしているガキンチョなんかよりも経験は豊富だから、そういうひとの気持ちが充分にわかってあげられるのだ。
勝者の気持ちは数人しかわからないだろうけど、敗者というのは数多くいる。
ゲームで勝つのはひとりだけかもしれない。そうすると他のゲーム参加者はみんな敗者なのだ。
勝っている間の時間は負けることができないというのは大きな経験の差があるということをわからないままに育つのは随分と惜しいものなのである。
と、負け惜しみしてみた。
負ける楽しみがある、これからの僕は。