造形である前に美味しいものなのである
バナナを描くのに黄色の表現が足りないと思って、いろんな濃淡の黄色を買い足した。
買い足したはいいが、使い勝手があっているのかどうかは正直わからない。
暗く見えるところと、色が濃く見えるところの違いが難しいのである。
冷静に考えたら難しいことなんてないのだけど、いざ塗ろうかってなると、これは濃いのか暗いのかという迷いが出てくる。
そんなことないよ、バナナなんて一色でしょ?
と思っているあなた。
一度バナナを絵に書いてみるといい。なんて言ってもね、描きたくないものを突然描けと言われてもねぇ。描きたくないよな。
塗り方がわからないのになぜ買ったんだってところではある。
そうそう、そこだよな。
塗り方を知ってて、なおかつ“物足りなさ”があったので買ったのだった。
そう、今までは既に持っていた色鉛筆で黄色の表現をしていたのだが、色の濃淡が出しにくいなぁと思って、それを「出しやすくしたい」と思ったのだった。
だから、もちろん。すでにあったのと同じくらいの黄色は買っていない。
黄色を3種類も買って、元々あったものを加えると4種類の黄色があるのである。
やっぱり、「それを持っているから」といって、それを明るいものから徐々に使えばグラデーションになってうまく濡れるのかというとそうではないのだな。
僕が最近見ているYouTubeのお絵かきを学べるチャンネルは、どうにかしてうまいを描いてみようという感じではなくて、「美味しそうに描いてください」と言う。
そーよな。
絵のモデルである前に、バナナは食べられるために生まれてきているのだよな。
うまく描いて自分の評判を上げようとするのはちょっといけないよな。
美味しそうに描いてあげるのが、バナナのためになるのだよな。
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