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正義に悪の気持ちはないのか?

こどもの頃から見ているアニメや漫画、そして映画もオトナになってから見ると途端につまらなくなったりするものがあるが、僕はどっちかっていうとおもしろくなるものの方が多いかななんて思ったりする。

「となりのトトロ」などのジブリの作品なんかもそうだし、こどもの頃見ていたウルトラマンとか仮面ライダーもストーリーなど全く気にせず見ていて、単に怪人をぶっ倒すところを集中して見ていたんだななんて思うのだ。

サッカーで言うならゴールシーン、農業で言ったら収穫、歌で言うところのサビ、なところしか理解できていなかったのである。
確かに、ウルトラマンなんかは後半の怪獣とウルトラマンの戦いくらいにしか興味がなかった。

怪獣が地球にやってきて人間に悪さをしたり襲ったりするシーンなんかどうだっていいし、レンジャーものの街中に現れたモンスターなんてなぜそこに現れて迷惑なのか、いったい何で正義に倒されなくてはいけないのか、まったくもって理由などどうだってよかった。

ただただ正義がカッコよければそれでいいのである。

オトナの世界にもそういうことが多々あるんじゃないかと思う。カッコよければそれでいい、かわいかったらそれは正義だと称されるのである。

本当にそうなのか?と疑問に思ってしまうのだけど、しかしそうやって外見の事さえ良ければオールオッケー的な流れは存在しているのがよくわかる。逆に言うなら、中身を知る機会が極端に少なくなっているんじゃなかと思う。

ヒーローの事でちょっとだけ考えたが、ヒーローは必ずと言ってもいいほど心の中に闇を抱えている。
日本のヒーローには本当に純真な気持ちで「悪は許せない!」と言って、表面から根本的なところまでぶっ倒していくようなヒーローがいたりするのだけど、そんなヒーロー活動も言うなれば悪がいないとヒーローなど存在しなくてもよくて、悪が存在しなければ仮面ライダーもウルトラマンも、レンジャーだって必要なくなってくるのである。


現実はどうだろうか?
そもそも「悪」という概念って、いったい何なのだろうか?

あからさまに悪の組織的なものは存在しないが、組織と組織の対立は存在するし、個人個人の人にも好き嫌いは存在する。
嫌いな人はそれこそ良く見えることなんて思えないが、実は活動は世間的に「いいこと」を行っていたりする。


僕の思う、自分が対立しているものとはいったい何なのだろうか?
もしそれがあったとして、“それは本当に悪なのだろうか?”と考えたという話だ。

難しい話だな。

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二ノ宮金三郎
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