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お山の大将と海坊主、おむすびコロコロ

山をちょっとだけ歩いてきた。

僕は山を歩くのは全然初心者なのだ。ちょっとおもしろいと思いはじめている。


何がそんなにおもしろいのかと思うし、実は今も思っているが、一緒に行こうと言われて拒む程でもないし歩くのは嫌いじゃないから行く。
ただ、自分からは行こうとは思わないなぁ、まだ。自分で行きはじめたら本当に好きなんだろうな。


僕はあんまり道具などを持っていないからかもしれない。
周りのみんなは登山用の靴やらウェアやらを着て、やれ低い山だとは言え半ばフル装備だ。

もしかすると、その「モードになる」のが実はおもしろいのだろう。




こないだは雨に対する対策を考えると、雨の日がなんとなくおもしろそうだと思えてきた。じゃあ次は山かな。

ひとって「事に備える」ということによって安心感を得て、“楽しい時間を感じ取っている”んじゃないかと考えた。


雨に濡れるというのはある意味においては「逃れられないこと」だ。だから家の中にいて雨に当たらないようにしているのだろう。言ってみるなら「無難」なところをチョイスしていると言っても過言ではない。


僕らは無意識のうちに無難な方へ無難な方へとコロコロ転がっていくおにぎりなのである。


おにぎりってそう簡単には転がらないのだけど、「おにぎり=転がる」という固定観念があるのは「おにぎりコロコロすっとんとん」という謎の呪文を幼少期に教えられたからだろうな。あのお話って何って話だったか忘れちゃったよ。

それはいいとして。
雨が降るのも、山に登るのも、結局どちらも同じことで、みんな強烈に“めんどくさくって仕方のないことだ”と思っているはずだよね。
だけど昔だったらそうは言いつつもそうも言ってられなくて、山に登らなきゃ隣の街には行けなかった訳だし、雨の中だって「カゴ屋」さんなり「猟師」さんは行動しなきゃいけない。

そんな中移動するならコレを使うべさと言って、それ専用の道具を作り出したワケだよね。ミノだったり、雪の上を歩くカンジキだったり、ワラの長靴だったりね。



そうやって対処していくうちになんとなく平気になってくる。えっ楽しいじゃんってくらいになってくる。

「ああ、あんなもんチャラヘッチャラだべよ!オラにまかせっぺ!」

なんて、平気な男がポツリポツリと出てくる。
今となっては山登りも道ができちゃってるから娯楽のひとつなんだろうけど、昔は道を切り開いていかなきゃいけなかった時があったはず。重労働だった時が少なからずあったと思うのだな。道ができてて楽に登っていけるから今は楽しいんだと言えるのだろうね。


みんなみんな、それぞれに対処していった事への賜物なんだろうな。


だから、今のうちは対処できてない山登りも、もしかすると道具を揃えると好きになるかもしれないよね。
そもそも僕も、もうなんとなく好きになりはじめてはいるかな。
なんというかね。
やっている事はドラクエとかの冒険に近いものがあって、自分がしっかりしないと誰かに迷惑がかかるし、そもそも論としてやっている自分自身が辛くなるようならおもしろみも何もない。ただただ辛(カラ)いだけで何の旨味も無いラーメンみたいな感じになるんだと思うんだ。

「登りきった時の景色が最高なんだよ!」と言うのもよくわかる。

頂上に来たんだなって爽快感がよくわかるし、なんせ景色がキレイだ事。
遠くを見渡せる感じが、「自分は今世界の真ん中にいるんだ!」とでっかい声で言いたくなるような清々しい“何か”がある。「山賊王にオレはなる!」ってのが次は流行るかもしれない。


流行らないよね。



スケボもウォーキングもおもしろいけど、この登りきった感やりきった感は何にも比較できない良いものがある。
おそらくだが、そういう爽快感を得られるスポーツを挙げろと言われたら、サーフィンくらいなんじゃないかな。
サーフィンもみんな嫌になったりして辞めようとしないスポーツでしょ。


海だの山だの、結局みんなでっかい何かに包まれるような存在が好きなんだな。



海の雄大さ、お山のデカさで、元気を出そうじゃないか。



デカくて広いひとになりたいね、これからの僕は。

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二ノ宮金三郎
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