遊びを仕事に変えるチカラ
すげーあたりまえな事を考えついた。
遊びの種類ってある程度限られているという事を考えると、すべてだいたいが公園の中でできる事だなと考えた。
さすがにテレビゲームとか映画やアニメを公園で見ようかってなるのはありえない、その辺は「演劇」という枠に収めて考えると納得するものがあるかもしれないな。
“遊び”のことを1つ取ると公園の中の事で集約できて、もしかすると人々はみんなその“遊び”をしたくて日々を過ごしている人が多いのかもしれないし、”家族”の事でせいいっぱいになっているのかもしれない。
どっちがいいと悪いかという事ではなくてね。
この公園と家庭との関係を覚えておく必要がある。
ある人は週末ないし、日中に出かけて公園に行こうという人がいて、またある人は家の中だけで娯楽や生活全般を楽しむ人がいるのだ。
公園では住めない(ある意味では住める人もいるけど)。
住むには家が必要であって、家の中を快適にしようと考えていろんなものを増やそうとする。
いろんなものを増やそうと考えると、それぞれを自分では作り出せないからそれぞれを作る人がいるのだ。壊れたものは直そうとする、病気になったらそれも治そうとする人がいる。
生まれてから死ぬまでの「快適性」を求めるのだな。
僕らはみんな、その快適性を求めて必死になっているのかもしれないな。
時にはそれを強引にお金の力で求めようとする人もいるし、快適に過ごすのにそれこそ仕事も家もいらないよと言って外で暮らす人だっている。
それは人それぞれでどこに快感や快適さを求めているかはわからないものだ。自分が何に関してお金を使っているのか考えると知りやすいかもしれないね。
最近は僕は絵を描いていて、そうしていることは集中できて楽しいなと感じる。それこそ描き終わる頃はけっこう時間が経っていて、まさに時間を忘れるくらいに集中できる。
今までその能力を伸ばそうとは思わなかったけど、もしかするとその集中力を使っていたら今頃は何かになれていたかもしれないなぁなんて考えるけど。いーやそんな事は、考えないことにしよう。
そう。
話がかなりぶっ飛んだが、「すげーあたりまえな事」というのは、公園でできる事柄というのはある意味でみんな仕事にしている事でもあるのだ。
かけっこ(スポーツ)したり砂場で遊んだり(建設とか工事関係)、地面に絵を描いたり(アート)おままごと(演劇)をしたり、何かのゲーム(システム、イベント企画)を考えついてみんなを誘って遊んだり。
そういうのはこどもがやっているから「ただの遊び」だと思ってしまうけど単に暇つぶしのためにやっていて、夕食までの時間潰しだと考えられるかもしれない。晩ご飯が楽しみだなって思っている人もいると思う。食事だってある意味ではエンターテイメントだし。
だけど、こどもはそんな風に思っていないはずである。これを読んでいるあなたもそうだったはずだ。いや、たとえ家の中でテレビゲームをしていたとしても、夕食までの時間潰しなんて考えながらゲームなんてしなかったはずなのだ。
そう、みんなみんな、クソ真面目に遊んでいたはずなのである。
時には友人と別れる事や日が暮れてお母さんが迎えにくるのがすごく嫌だというふうに感じたこともあるかもしれない。
今オトナになって、深夜まで遊べるようになったかもしれないし夕方になったとかなんとかっていうのは関係ないかもしれない。
しかし、そうなったからこそ「真剣に遊ぶ」なんてこともしなくなったんじゃないかって思うのだ。頭の中のどこかで「オトナは仕事をして家族を養うもの」だなんて考えているかもしれない。(それもおもしろいことだけど)
ダラダラと話せたらそれでいいとか、明日になるのが嫌でグズっているだけなのかもしれない。
大学生くらいになると朝までお酒を飲んでみたり、ゲームができると言って実際そうするかもしれないけど、そのうち何も創り出していない自分に気づいたりする。単なる消費者で、単なる傍観者で、モブになって、通行人Aになっていることに随分とおじさんやおばさんになってから気づくんだと思うのだ。
僕はそれって、公園の外にいるんじゃないかって思うのな。
公園の外で、公園の中で遊んでいる人を見て笑っている感じだ。
家でも公園でもない道なのね。
本当の遊びってのは、「公園の中」にいなきゃいけない。限られた時間内で限られた区間の中、それを最大限に使って真剣に遊んでみるのだ。
真剣にやろうと思うといくらかお金がかかってくる。おままごとを真剣にやろうってなるといろんな道具が必要になってくる。地面に絵を描くにも地面の絵みたいに足でゲジゲジしちゃったら消えちゃうようなそんな程度のものじゃなくって、ちゃんと作品として残そうとすると、いくらかお金がかかるようになってくる。
「真剣なこども」になろうとするとそれなりのお金が必要になってくるのだな。だから、どこかでそのお金を稼がなきゃいけない。それが仕事になっていくんだな…。
なんて思ったのである。
僕はまだまだ、絵を描き始めたばかりだから絵画とかアートの事なんてよくわからないのだけど、「画材が楽しい」って事は最近なんとなくわかった気がする。あれが描きたい、あんなふうな表現がしたい。そう思うとあれやこれと、欲しくなったりするのだ。
それでお金を稼ごうかなんて考えていないし、考えついたりもしないけど、それを馬鹿の一つ覚えみたいにやり続けていられたら、どんなにかおもしろいだろうなぁと考える人の気持ちがわかるし、絵を売ってお金を稼ごうと考える人の気持ちもわかるような気がするのよ。
という真剣な遊び方を考えたという話。