よくわかってないくせに
「よくわからないままでいること」ってよくあると思う、たくさんあると思う。
僕たちが食べているバナナってほぼほぼ1種類だってこと知ってる?
キャベンディッシュという名前のバナナで、甘いバナナだ。
他にもセニョリータバナナ(通称はモンキーバナナ)と言われる小さなバナナも売っていることもあり、だいたいが八百屋さんなどのちょっとコアな感じのお店で売っている事があるが、ほぼほぼ一般的じゃないから食べた事ないよって人は多いと思うのだ。
産地は台湾、フィリピン、エクアドル…などなどがあって僕らがよく口にするものはこのいずれかの国で輸入されたものが多いだろうか。
中には市場に売っているような「カルダバ」と言われる調理用バナナも知っているという人もいるはず、あとはツンドクという大きなバナナも東京の東大久保とかで売っているのを僕は見た事がある。
そんな事は…まぁ、どうでもいいか。
あんまり知られていない事をつらつらと並べてみただけだ。特に意味はない。
ここで話したいのは「よくわからないことがあるよ」ってこと。
たまにこんな人がいないだろうか?
よくわかっていないのに知ったようなことを言って文句をつらつらと重ねるのだ。
いる。いるし、自分もそうだったりする。
僕はこのことで反省したんだが、よくわかっていないのに文句なんか言えないというよりか、どこを突っつけばそんなことが言えるんだろう?って思うことを山のように吐き出すのである。
たとえば、映画を見た時って最近は必ず「考察」をする人が現れる。
最近はというか、昔っからいたんだろうけど、YouTubeなんか見ていると、新しい映画が出た時に「たぶんこうだったと思う」とか「おそらくあれは監督がこんなふうにやろうかって言ったんだと思うんだ」と自分なりな空想や想像を話す人が無数にいるもんだなって思ったのだ。
映画の場合はいいよな。あれは考察であって、それをするからこそ楽しい時間になるし想像が膨らんでおもしろい。ワクワクするし、「え、何!そんなシーンあった?もう一回見たい!」なんて思わせられるくらいだ。
しかし、そうでないところで知ったようなことを言って文句をつらつらと重ねるってことがあるし、人のことを「たぶんこうなんだよ…」とか「こうなってんじゃない?やーねぇ」なんて言って“よくわかっていないのに”ツラツラといろんな言葉を吐き出す人がいるもんだなと感じる事がある。
よくわかっていないしよく知らないのに、よくもあんなに言えるよなと思うのだが…僕はふと思った。
「よくわかっていないからこそ言葉が多くなるんだろうな」
とな。
料理のできる人って食卓にお料理が少ないと、パパッと簡単な「ありあわせ料理」を作る事ができるが、だいたいが料理名がついていないようなものを作ったりする。食卓を囲む人たちはそれでワイワイと話す事ができるんだけど、「よくわかっていない事」を話すってそれに近いものがある。
味があって口に運んだとしても不味いとはならずにもぐもぐとできるんだけど、それが何なのか何でできているのかおそらくよくわかっていないと思うのだ。
別によくわかって食べなきゃいけないって事ではないが、たとえとしてそういう事に似ているって事だ。
その場しのぎでその場が盛り上がりさえすればいいってだけの、“内容の無い話”になってしまうって事である。
あとで思い返してみると内容の話なんて、単なる文句だったり空想だったりはたまた話している本人の自分が優れているとか旅行に行っただとかおいしいもの食べただとかの話だったりする。
人のことをこうだああだと言って下げておいて、自分は正統だ正しいのだ間違っていないと言いたいだけなんじゃないかって思ったりする。
結局自分の事に注目させるような小粒な話だったりするのである。
僕もよくわかっていないのに、こうだと思うとか、こうなっているんじゃないかと空想を重ねる事がある。いやよくわかっていないのにそんな事言っちゃいけないよな。それって真実かどうかと聞かれたら、真実でもないと思うんだ。じゃあ何かっていうと単なる「真実性に欠けるその場しのぎな話」なんだよな。
真実を語る、事実に基づいた話って実は難しいのかもしれない。
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