集まる理由作り
楽しみってどこに隠れているんだろうか?もしくは置かれている?その辺に落ちている?
よくわかっていないけど。
世の中のみんなは「楽しみ」を求めて、もしくはしあわせの中にある「楽しみ」を見つけたりなんかして過ごしている。
だから、僕らは何かしらの「楽しみ」という大きなくくりの中で活動しているのである。
「楽しくないなぁ」なんて思っていないひとなんてほとんどいない。
いやいや、いるよ。
世の中楽しんでいないひとは、実はたくさんたくさんいるのだ。
ではそういうひとっていったいどういうひとたちなのか、たぶん「仲間に入れて」と言えないひとか、もしくはそういう集まりに入っても楽しめないひとなのである。
だって、よく考えると、世の中みんな楽しんでいるひとって何かに属している。
なんとかっていう「サークル」に入っているよとか、なになにっていう「お店に加入」していて特別に誘ってもらっているよ。
なんて話を聞くと思う。
それは友達の集まりだったりするし、居酒屋だったりするし、喫茶店で集まるひとだったり、ネット上でやりとりしているひとたちだったりもするわけだ。
それを考えるとそうでしょ。
みんな、何かのグループに属していて「楽しみ」を得ていると思うのだ。
だから、今回自粛自粛で「楽しくない」とか「つまらない」と言っていたひとたちが、外に出かけられないことでそうなっていたじゃないか?
仲間がいるってのは不思議だ。
僕が最近不思議に思っているのは、自分が所属したグループやサークルがおもしろかったとしても、とある小さな理由でつまらなくなってしまったり、やる気が削がれてしまったり、友達と仲良くなくなってしまったり…。
なんてことがある。
たとえどんなにかその集まりが楽しかったりやりがいがあったとしても、極々小さな嫌なとこがあると、それをほっぽり出すくらいの気持ちになって、またひとりに戻ってしまうのだ。
みんな、どんな理由で何かの集まりに参加していて、どんなやりがいや楽しみがあって、生活や自分という人間にどんな影響を及ぼしていてそれを益と考えているのだろうか?
と最近考えている。
それがわかれば、楽しい集まりができると思うんだが、どうだろうか?
集まる理由作りだな、これからの僕は。
気軽に読んでいただきたいので、ひとつひとつの記事に値段は付ていません。靴磨きや仕事のお手伝いなどを投げ銭でやってみると、様々な方が僕の仕事にいろいろな価値をつけて下さってすごく助かります。僕の記事にもあなたの価値をつけていただけると嬉しいです。